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『絵作り』について真剣に考えた自分なりの結論

現在、自分の課題として取り組んでいる事がある。
それは、ズバリ、絵作り‼︎

見たものを見たまま描けるようにはだいぶなってきたが、絵としてはそれでは足りない。

省略と誇張。
これこそが、人間が絵を描く意味だと思っている。
人によっては、それをデフォルメ、デザイン、演出などと言い換えたり、付け足したりするかもしれない。

それは料理に置き換えるなら、調理に該当するのではないか?
素材は、見たままの景色であったり降りてきたアイディアに当たるだろう。

素材と調理が相まっておいしい料理になるのと同じように、絵もモチーフ(素材)と表現法(調理)が相まって素晴らしい作品が生れる。

そっか、絵は料理だったんだ。
そう考えると分かりやすい。

例えば新鮮な素材が命の寿司。
手が込んでていて原型のない、美しくデザインされたフランス料理。
自分が好む(できる)調理法、その時食べたい料理。
自分だけが食べる簡単な料理、特別な人の為に作る料理。
記念日に高級レストランで食べる料理、なじみの居酒屋でくつろいで食べる料理。
美味しい料理をつくるための試作。
などなど。

様々なシチュエーションで、様々な調理法で、様々な素材で、様々な料理がある。
絵も全くいっしょ。

肝心なのは自分の立ち位置をしっかり把握すること。
そして、素材を吟味し、調理法を定める事。

写実表現は絵(少なくとも洋画では)における基本なので、誰しもが通る道だ。
いわば素材を吟味する能力と言えるかもしれない。
素材を吟味できなければ、美味しい料理を作ることができない。
新鮮だから生で食すのがいい、とか、少し古くなっているから煮込みに使った方がいい、とか。
理解する能力、と言い換える事もできるかもしれない。

調理法は多く知っていれば、扱える素材は増えるし、作れる料理の数も増える。
増えればいいってもんでもないが、寿司だけ食べたいか?寿司だけ作ってたいか?と聞かれた時、自分の答えはノー。

だから調理法を学ばなければいけない。

そして、今まで調理法は無限に習得しなければいけない思っていた。
多いにこしたことはない。自覚はしていなかったが、そういう節がある。
言わば調理法コレクションと化していた。

でも人間は無限に食べることはできないし、様々な調理法を学ぶ分、1つ1つの精度を上げる時間は取れない。

和食が好き、フランス料理が好き、好きだけど胃がもたれるから、粗食が身体に合ってる、とか色々ある。
そういう、趣味嗜好や性質、体質も含め、自分に合う、と思うものだけを習得すればいいのだと、ようやく納得しかけてきた。

ただ、どれが身体に合ってるかは食べてみないと分からない部分はあるわけで、そういう時は気分に合わせて試したり試さなかったりでいいと思う。
(ようやくオトナなってきたかもw)

とにかく、自分は今から料理するんだけど、何のためにするのかをよく自覚しとけばいいんだなーって話。


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