「プリテンド・ファーザー」白岩玄
子育ては自分以外の誰かがやるものという"旧来型男性"を恭平が、子供のケアを得意とする"新型男性"を章吾が代表して、二人が女性の直接的支えなしに同居して子育てする様子を描く小説。筆者は「野ブタ。をプロデュース」の方。どちらかというと"新型男性"の私としては、感想がたくさんありましたよ笑
まず、作品全体の感想で言えば「普通」かな、と。恭平の子育てに対するスタンスに対し、読者は章吾との対比で違和感を持ちながら読み進めていくのでしょう。"旧来型"読者も、恭平が今の時代の価値観から少しズレた存在であることは感じ取るはず。そして、読者の誰もが期待するように、少しずつ恭平の価値観は修正されていく。
途中、章吾の子供が実は…というところに驚きはあるものの、その他、物語はあまり大きな盛り上がりを見せずに最後までヌルッと進んで行ってしまう印象。とはいえ、筆者の伝えたいメッセージは私にとっては明確で、父親は恐れずに育児に進出すべきだし、まだまだ"旧型"の会社や社会に囲まれて息苦しいかもしれないけれど、あなたの一歩が将来のパパママや子供たちにとってのより良い未来につながるよ、ということだと思う。
そして、このメッセージに、私は何の異論もないです。なぜなら、私自身がパパ当事者だから。
特に、恭平の会社の後輩である津崎の申し出は、私自身をモデルにしてるのかと思うくらい考えが一致して驚愕。育休取得のロールモデルとなる男性先輩社員がいないけれど、妻の体調やらなんやら色々考えた上で人事を説得することを決断し、しかも、1ヶ月どころじゃない長期の育休取得を決意。素晴らしいじゃないか!
人事部の恭平は自らがシンパパでありながらも、「組織に迷惑かけるのだから男が育休なんか取ってどうする」という考え。でも、途中で気付くんだよね。自分がやらなかったケアは、結局誰かに押し付けてるだけだってことを。
その気付きは、恭平が亡き妻の言動を反芻する描写からもうかがいしれる。でも、最初は恭平も意味が分かってなかったんだろう。後輩の津崎は、これから出産という一大事を迎えるになる妻との対話を通じて、妻の不安に向き合うことの大切さを理解したんですね。
実は、津崎と恭平には共通する部分があるんですね。それは子供のケアのために花形部署である営業から離れる決断をしたこと。津崎は自分の選択に基づいて、恭平は妻を亡くすという環境に押されて、という違いはあるけれど。これは"旧来型"の男性の価値観からするとあり得ないことで、ある意味で屈辱。だから、全然理解されないと思います!本作の様々な描写中、男性間で最も議論が出そうなのはここでしょう。
ちなみに、私も(妻は生きていますが笑)同じ選択をしました。仕事は誰かが肩代わりできるけど、夫や父は誰も肩代わりできない。仕事のことを愛しているけれど、それと同じかそれ以上に妻子を愛しているので。というか、そうした生き方を受け入れられないような職場なら、いずれにせよ一生お付き合いできる職場ではないと思います。
というように、本作が描くテーマは普通に描くだけでも十分に読者の価値観を揺さぶると思うのです。それなのに、章吾側の事情を複雑に設定する必要があったのか疑問に思います。ファーザーを「プリテンド」しているのは恭平だけでなく、実は章吾もだった!ということなのでしょうが、章吾側の仕掛けがあまり胸に響いてこないのですよね…。それなら、恭平が娘や会社に向き合う描写をもっともっと深掘りしたり工夫してほしかった、というのが私の感想です。
なお、本作をBLと解釈しておられる方もいるようですね。確かに二次創作ではそういう設定も可能かもしれませんが、本作は断じてBLではありません。というか、シングルファーザー同士が協力して子育てするという事情をBLと見るような空気は、作中で批判の眼差しを向けられており、本当に本作をきちんと読んだのか疑問に思いました。
とにかく物語としての本作には決して満足していないものの、現代を生きる男性、父親として、語れるところがたくさんある一冊でした!
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