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《繊乃月抄記》⑼
1.「サマータイム」
朝が突然に早送りして一時間ズレました。目覚めがいつの間にかそのようになってしまいました。早い話しが朝寝坊が続いていただけなのです。ややこしい言い方して、また嫌われてしまうのだろう。
「同じ一本の樹に生きて同じ時を過ごす」
「それぞれの葉が秋になり落ち葉となる」
「偶然とは言え同じ場所に舞い落ちて来た」
「そんな爽やかな気持ちを運んでくれた」
そんな想い月さんのショートストーリーを読みながら感じた印象を詩に書き始めていた。一昨日の夜明け前でした。きっとサマータイムがサヨナラしただけなのですね。《繊月抄記》
「すれ違う電車」
夕方の陽が沈む、もの哀しい画像にレイアウトの洒落た短歌を見かけた。
「もういいかい、まだだよ って言いながら結局出会えなかったふたり」まちりこ
高校を卒業して、夜の予備校へ通う電車でいちどだけ同じ方向へ行く電車に乗り合わせたふたり。あの時の出会いが心に焼き付いて今頃に蘇ってくる。たぶん、今にして思えばその娘に一目惚れしていたのですね。この歌が誘い水となり記憶を誘発させているのです。結局、そのままふたりは出会う事もなく時が過ぎた。
ある日の夜、私は社会人となり、すれ違う電車であの人を見かけた。あれから帰り電車の車窓から、すれ違うあの人の姿をしばらく探していました。私とあの人はすれ違う事でしか出会えない。そんな巡り合わせでしたね。《繊乃月抄記》
「朝は遅い」
朝はいつも違う表情を見せてくれる。
暗いから夜明け前なのかとスマホを覗き時刻を確かめれば、何時も目覚める朝なのだ。雨が降りそうですね。雨は自分の体調には好きになれないけれども、創作には大好きな情景なのです。何度もお世話になっているので文句を言うのはお門違いですよね。今朝の秋時雨も、何時までも寝坊してないで、歌や詩を早く詠みなさいと急かされているようです。ひとりぶつぶつ言いながら珈琲の香りを振り撒きながらポートレートに「おはよう」と言ってワタシの朝がスタート開始なのです。《繊月抄記》
「届かない」
何のためだろ?
夜中の目覚めは、そんな問いによって起こされた。
突然に夜中に起き出して難しそうな話しをするつもりでは無いけれど、少しなら耐えられる気がする。
詩を創る。何のためだろう?ずうっと考えていた。きっかけは何も伝わらないワタシの思いを、あの人に届けたいと、思ったひとりよがりの恋愛模様の書き始めだったかなって、たぶんそんなような気がしています。《繊乃月抄記》
「スペース」
すっかり朝が寒いのと遅くなる起床です。朝五時頃には目覚めて、その時間が創作するのには最適だったのですが、いつの日からかワタシから奪い取られて体力をもスライスしながらそろり、冬に向かって季節がベクトルを定めて助走ているのです。
スペースでの会話なら映像のない会話で臨めますから気楽な姿勢で元気印で行けます。いつものメンバーとの気楽な会話から、ぶらり立ち寄る人とのお話しも新鮮な新しい話題が聞けてで楽しいですね。いろいろな物書きさんとか創作する方達とのすれ違うほんのひと時のキリトリが日常を楽しくしてくれるスパイスとなりこれからも大切に、大事にして行けたらと綿帽子さんに感謝しながら思っていた。今朝の、寝過ぎの言い訳にして。《繊乃月抄記》
「あいのうた 」
あれはもう二年ほど前になるのだろうか?彼女の詩に衝撃を受けて、ワタシは詩を書けなくなっていた事を思い出していた。その詩の彼女は作家で詩人の風花さんでした。
愛してる
愛してた
たったその二行の詩でした。その時の感動と衝撃をポストしたら、彼女からエールの返事が帰ってきました。「待っていますから」と、その後お互いの創作のポストで彼女とは何度かエールの交換をし合う機会を得ていた。
今年の夏の《文披31》を紹介されてワタシも初めて投稿することにチャレンジした。そんな真夏のワタシには残酷な長丁場のマラソンのような無謀な試みでした。とりあえずは完走する事を決意して、何とかやり遂げる事ができた。仕事しながらの彼女の作品は遅れて投稿されて来た。着目する場面や動機は目を見張る切り口で、洗練された意外性で驚くばかりの傑作の数々でした。彼女の作品を読むにつれて己の未熟さに呆れながらも脱帽する事しか出来なかった。
秋の風が吹く頃に、そんな彼女から詩がポストされた。
「あいのうた
わたしにはもう
歌えない」
あの時のワタシの言った言葉が詩に変換されていた。そして追い討ちを掛けるようにしばらくお休みをします。とのポストでした。
悩みを抱えているのだろうと推測するしかないけれども、何かして上げられるだろうかと考えていた。二年前のあの時に「待っています」と言う返事が頭の中を過って、これしか思い浮かばなかった。あれ以来の友情を今になって恩返しになってくれたらとあの時の思いに願いを込めてエールの返詩を創っていた。
「あいのうた
わたしにはもう
歌えない」
そう言って俯いた
あの夏のおわりに
わたしは唄を
忘れたの
そう言って泣いた
静かに黙って
待っている
そう言って
待つことにした
「あいのうた
待っているから」
ひとつの事象の経緯と心情の変遷を文章として書き上げるのは意外と体力勝負なのだと、今更ながら実感しているのです。《繊乃月抄記》