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ひとり夜咄4 「新宿物語」

「新宿物語⑴/永遠」
気狂いピエロの最終場面の映像に映る詩の一節です。ひょっとした事から、ピエロ役の彼は、昔の恋人との一夜を過ごす。翌朝、部屋に死体が転がっている。
彼と彼女は殺人事件に巻き込まれ巴里から南仏、そしてイタリア地中海への逃避行の物語。逃亡の末に、すべての絡繰(からくり)を知り絶望感から、ダイナマイトを頭に巻いてピエロとして自ら爆死する最終シーン。地中海の海の水平線とともに
ランボーの詩集『地獄の季節』から、「永遠」の詩がナレーションで流れるラストシーンに現れて終わる。

みつかった なにが
永遠が
海にとけこむ 太陽が

今も、そのシーンだけは鮮明に記憶がよぎる。まるで、テンプレートのように消えない記憶として映っている。

https://youtu.be/NzfM5cvbhsQ?si=bzFTG1pWu3Rn5CNN

「新宿物語⑵/別れ」
半世紀ほど前の、すでに忘れていた記憶がフラッシュバックして、甦えるのです。
騒々しい喫茶店で、彼とはその店でいつも出会って友達になっていた。今なら「カフェ友」とでも言うのだろうか。
新宿駅前の人混みに石を投げれば「デザイナーやカメラマンの卵達に当たる」と揶揄されていたご時世だ。ご多分に漏れず私もそのデザイナーの学生の頃の記憶の話しです。
新宿駅東口の右に外れた道を少し進んで、その店はあった。その店の名前は確か「新宿風月堂」と言う名前だったと記憶する。

学生運動も下火になり、世の中が混沌として、カオスのように行き先を見失った、若者や大学生、芸術家の卵や自称詩人や作家達、社会人になり損ねた人達などが溢れていて言わばその中でも芸術家気取りの溜まり場だった。私ものめり込んでいた現代詩の濁流の中で流されていた頃でした。世の中を訳もわからず中也が大好きな田舎育ちのにわか詩人が、現代詩の荒波の只中で溺れていたのでした。
自分勝手に振る舞う、うるさい客を避けその友とは二階の窓際の席で話していた。いつものようにそれぞれの思いやら文学、芸術の話を然も分かりきったように語りあっていた。
その時の話題が、映画「気狂いピエロ」を友が熱く語ってくれた。友は話し上手な好青年に思えた。少し破滅的で、繊細なのだがウィットに事久かなかったので、私はいつも聞き役だった。話の中で、記憶に残っていた詩がアルチュール・ランボーの「永遠」でした。その友が帰り際に熱を込めて、『この映画は絶対に見ておけ!』と命令口調でしっかりと言うと、席を立つなり、今までした事のない握手を交わした。
「さよなら」と言って帰る友は、その場を後にして去りました。その後、友とは二度と会えなかった。会いたくても、会えなかったのだ。
後日、人伝へで聞いた話しでは、友はもう此処には来ないのだ、いや二度と来れないのだと悟った。
私も後を追うようにして、詩を捨て、喧騒の街だった新宿を去った。

https://youtu.be/jVo3RpZdf-I?si=VmtjUuwFajMvm5G8

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