犬の生活「受難」

その昔、江戸の町は野良犬であふれて居た。
兎に角辻々にいるのだから大変な数だ。

――伊勢屋稲荷に犬の糞

江戸に有り触れたものとして、上掲の様に揶揄された程である。
野良と言ってもその大半は放し飼いの飼い犬で、今でいう地域猫のようなものであった。
そして、そういう犬は里犬と呼ばれていた。

明治に入り、そんな里犬に転機が訪れる。それも悪い方へ。
畜犬規則」だ。

名目上は狂犬病対策ということだが、町中に放し飼いの里犬やら野犬やらがウロウロして、その辺犬の糞だらけというのは余りにもみっともない、文明国らしくきちんと飼い犬を管理し、野犬を駆逐し街の美化に努めたいというのが本音だったようでだ。
犬にとっては甚だ迷惑な話である。
なにしろ鑑札札のない犬は、見掛け次第殴り殺すよう通達されたのだから。

――犬も歩けば棒に当たる

これは、その様子を語った言葉だったのだ。
下にその「畜犬規則」を掲げる。

『「内外日誌 第三十九号」
海内新報
〇里犬有害之儀に付警保寮より東京府へ掛合冩里犬狂病は一時数犬に伝染し人を噛み傷を為し往々其毒に罹る者一種の病を●すに至る或は幼児等は死に至るも有之依て右等の犬は従来邏卒番人より殴殺致す事に候既に御府下第四大区小二の区三崎町一丁目一番借店吉井幸蔵●(ひ)(ろ)と申者当年九歳にて当月廿六にち同区練兵所にて遊居せして里犬二三疋駆来り右(ひ)(ろ)に噛付三ヶ所疵為負候に付早速療養を加え候得若重症に付遂に翌廿七日●死去候●同大区警視出張所より届出候に付右犬は遂に殴殺候様指揮致し置候畢竟府下肉食の盛なるに●ひ諸犬剰肉残●て食ひ時気感●て併せて●犬となり害を為す者不●当今府下無主の野犬多く有之無病の犬たりとも●●て遂に植物を荒し有害無益に付更に畜犬規則を設け無主の才は狂病に非ずと雖とも悉皆邏卒番人其外誰にても殴殺致し死屍取片付方は其村町役人に才し候様致し度●別紙規則見込書相添遂出候右は至急施行致度儀に付き町村に急遽御布達有之度然る上は四月一日より五日迄を猶予し六日より前文之通取計度候此段及御題合候也
明治六年三月三十一日 島本警保頭
大久保東京府知事殿
畜犬規則見込
一 畜犬には頸輪を●し其主の住所姓名を木札に詳記し之を付置くべし
但し無札の分は総て無主と看做し之を殺す可し
一 狂病に罹る犬は其主之を殺すべし
一 道路狂病の畜犬あれば邏卒番人其の外誰にても之を打殺すべし若し之が為に入費ある時は其主より之を労すべし
一 猛犬は鉄鎖等を付け置き家畜を害する等の憂なき様注意すべし
一 畜犬他人の家畜を害する時は其主より相当の償金を出すべし
一 畜犬人を殺傷する時は●にても之を打殺し其主は怠慢の責を●するを得ず且つ相当の償金を出さしむ
一 外国人畜犬も名札を付け置候様致すべし

〇明治元年戊辰太政更始の●官省札を十三ヶ年限り発行候所遂に収却の儀を決し遺残の札へは一ヶ月五朱の利子毎年七月十二月両度に割合拂渡すべき旨已巳五月二十八日布告候所政府に於て収却の都合に至兼候に付金札所持人へは約の如く一ヶ月五朱の割合を以て利子可相渡候得共各所散在一々●拂渡に付明治六年第三月十五日より金札所持の者へ一ヶ月五朱即ち年六分の利息付公債証書を可下渡候條別冊公債証書発行條例を遵奉し証書譲渡等可致候若此條例に犯●するより』

文中「無札の分は総て無主と看做し之を殺す可し」「邏卒番人ニヨリ毆殺致ス事ニ候」など、愛犬家には目もそむけたくなるような言葉が並ぶ。
これが明治の犬の生活だ。犬の生活も楽じゃない、なんてもんじゃない。

なお、上は『明治新聞 内外日誌 明治6年4月5日39号 警保頭有害里犬狂病対策に畜犬規則を提案』より筆者自ら書き起こしたものである。
判読不能な文字は伏字としたが、それ以外にも書き損ないがあるかも知れない。ここに一言お断りしておく。

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