a melancholy is gonna come

サムクックの歌う "a change is gonna come" という曲がある。
"I was born by the river" で始まるこの曲を聴くと、幼い頃をドブ川の傍で過ごした私は、この冒頭の歌詞に引き込まれ深く共感しノスタルジーに浸る。しかし一方で、聴き進めるうちに非常なメランコリーを禁じ得なくなる。

"It's been too hard living but I'm afraid to die" と唄う箇所がある。
積極的に生を選択している訳ではない私にとり、この一節は強烈にメンタルに堪える。
生きていたいと願っていない。しかし、死にたい訳ではない。揺蕩うように日々を暮らしている。
実のところ、死ぬことが怖いのかどうかは私自身わからないのだが、兎に角、死ぬのは嫌なのだ。だからこそ、こうして人生という時間の波間に揺蕩い乍ら、徒に仕方なく、死ぬまでの間を死なぬように生きている。要は時間稼ぎに若かない。それほどに、私の生は消極的なのだ。
だから、そんな私にこの一文は痛すぎる。

ところで、数多の change を成したサムは、この曲でどんな change を歌ったのだろうか。

"There been times that I thought I couldn't last for long" "But now I think I'm able to Carry on"
"It's been a long, a long time coming, but I know a change gonna come. Oh, yes it will"

それは、この怒涛のラストに集約されているのだろう。
未来への希望。希望ある未来の訪れ。そんな良いchangeを感じさせる。

しかし、本当に大丈夫なのだろうか、という不安を孕んでいるように、私には思えてならない。
一抹の不安。そんなもので締め括られているような後味の悪さを、私はこの歌に感じるのだ。

この先、生きていて、私には良いchangeは訪れるのだろうか。
私はいつも、この曲を聴き進めるうちに、非常なメランコリーを禁じ得なくなる。

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