もののけのけ 抄
其弐夜 ひざくりけ
安岸丸は、ズボンの裾を捲り上げて、私にそれを見せた。
露になった安の脛の上、膝頭に怪異を認めた私は、思わずギョッとして声を上げた。
露になった彼の膝頭には、長さ10センチ程の栗色の毛がびっしりと隙間なく生えていた。
10日ほど前に一度剃ったのがご覧の通りだ
それは日々成長を続け、大体1日で1センチ程伸びるのだと安は言う。
やれやれだ
フサフサの膝の栗毛を撫でて安はそう言った。
安曰く、これは「妖怪道中膝栗怪」の仕業なのだそうだ。
しかし、勝手に生えて来る以外、特に何か悪さをする訳ではないのだそうだ。しかし、勝手に膝頭を覆うほど生えて来るだけで十分迷惑な話である。
そしてこの膝栗毛は膝にしか生えないのだと言う。
安は試みに自身の頭髪の一部を抜き去り強制的に直径2センチほどの円形禿を作り、そこにこの膝栗毛を植えようと試みたらしかった。
果たしてこの毛は膝を離れると、スッと消えてなくなったのだそうだ。
禿治療に使えれば一攫千金だったのに残念だ
安はそう言うと、自ら作ってしまった禿を撫でながら頻りに悔しがった。
其参夜 もものけ姫
また変な物に憑かれて仕舞った
安岸丸から再び連絡があったのは、膝栗毛の件から、暫くしてのことだった。
今度は腿(もも)に変な怪の毛が生えてきたのだと言う。
見せてもらうと、体毛薄い彼の腿から10センチほどの長さの毛が1本生えていた。ただのムダ毛のように見える。
コレを見ろ
そう言って安は、私に虫眼鏡を差し出し、その毛の先端を見ろと言う。
虫眼鏡を覗いた私は思わずギョッとした。その毛の先端は「お姫様」であった。目が合った。ギャアと声を上げ、虫眼鏡を思わず放り投げて仕舞った。
安岸丸は、その毛を撫でながらニヤリと笑い、こう呟いた。
ピーチ姫だ。「モモ」だけに……
其肆夜 そこのけ
安岸丸から再び連絡が入ったのは、ピーチ姫の件から、かれこれひと月程経ったある日の午後のことだった。
私の心配を他所に、安は案外晴れやかな表情をしていた。
それはまるで憑き物が落ちたかのような、明るい表情だった。
怪の毛の除去に成功した
安は開口一番そう言って履いていたチノパンを脱ぎ捨てた。
見ると右膝はツルツルとして、最早そこに膝栗毛がビッシリ生えていたことなど無かった事の様であった。
しかし、左膝には未だ栗色の毛がびっしりと……
まだ、残っているじゃないかと訊ねると、除去する所を私に見せるために敢えてこの怪の毛のみ残してあるのだと安は興奮気味に言った。
呪文があったんだよ
そう叫ぶと、安はその左膝の膝栗毛にその呪文とやらを投げ掛けた。
そこの怪そこ退けおんまが通る
見る間に膝栗毛は消えてなくなった。