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東中野「裁判所通り」

note用短縮版としてお届け
中野区東中野に「区検通り」と言う道がある。別名「裁判所通り」。
中央線の線路を挟み青梅街道から早稲田通りまで繋がる、東中野を南北に縦断する道のひとつだ。
「区検通り」とは「区検察庁へ至る道」という意味合いである。
東中野東口を出て区検通りを南下すると、大久保通りに至る。そこを横切ると青梅通りに向かって上り坂となる。桃園川遊歩道を越えた右手、コンビニの下方に区検察庁/簡易裁判所が置かれていた。

ところで、この地に区検察庁が置かれたのは戦後のことだ。詰まり「区検通り」の呼称は戦後に始まったことになる。
それ以前は何と呼ばれていたのか? 素朴な疑問が湧いて来た。
答えは、脇道に――区検通りを少し脇に入った所にひっそりとあった。
嘗ての川添町、今は暗渠となった谷戸川の流れに沿った場所に「第六天神社」という小さなお社がある。その境内の入り口左に古の道標が建っている。
年銘がなく建立時期は不明であるが、この道標と石灯篭は戦災で焼け残ったものと聞く。そうであれば区検察庁設置以前のものであることは間違いない。

この道標の向かって左には「是ヨリ 右ぞうしがや道」、右には「左堀乃内」とある(写真)。
鳥居に向かって右手にあるのが「区検通り」だ。そこへ出て左に向かって歩けば「堀乃内」に至ると言う事と解釈できる。

この「堀乃内」とは古典落語でも有名な「堀の内」を指すのだろう。道標である。無名の場所を刻むまい。堀の内といえば妙法寺だ。嘗て東の浅草寺、西の妙法寺と謳われた名刹である。
第六天から区検通りへ出て左に進めば軈て青梅街道に出る。それを西に向かえば堀の内に至るのだ。

そして「ぞうしがや道」とは「雑司ヶ谷道」のことに相違ない。雑司ヶ谷の鬼子母神(田の上のノは無い)である。そこへ続く道と言う事だ。都内にはこの「雑司ヶ谷道」と呼ばれる古道がいくつも見受けられる。
ここではその詳細は省くが、「雑司ヶ谷道」について詳しく知りたい方は下記「ちゅうはん」氏のブログをご覧いただければと思う。

原風景へ ~人々の暮らしが織りなす風景~ 雑司ヶ谷への道
http://blog.livedoor.jp/chuhanti/archives/cat_1353334.html)

兎に角、「区検通り」とは嘗ての「雑司ヶ谷道」であることが分かった。実にこの小さな古い道標のお陰である。

戦災に遭いお堂は焼失しながらも、戦災を免れた古い道標や灯篭を守り続け、同地にお堂を再建し、今に引き継いで来られた先人や地域に方々の労苦に感謝と敬意を表したい。

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