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noteと私とわたくしと

それは日記ではなく、手記でもない。況んやドキュメンタリーをや。

ここnoteに於ける「私」とは、現実の「わたくし」とは異にする存在である。
これははじめに断っておくべき事だったかも知れない。そう思い、おくらばせながら今こうして認めている。

こう書けば、矢張り「私」は「わたくし」なのだ、と深読みしたり、「逆もまた然り」などと言い、持論を展開して見せる人が現れる。
斯様に人間の心理とは厄介なものだ。
是と言えば非、非と言えば是、否定すればするほど、疑いは益々深く濃く、逆に事実は幽かに。

『他人を弁護するよりも自己を弁護するのは困難である。疑うものは弁護士を見よ。』 (芥川龍之介「侏儒の言葉」より)

放っておけば良いのである。
分かっているのだが、キーボードを叩く指を止められなかったのだ。

『完全に自己を告白することは何人にも出来ることではない。同時に又自己を告白せずには如何なる表現も出来るものではない。』 (芥川龍之介「侏儒の言葉」より)

芥川龍之介「侏儒の言葉」読後。久し振りに読み返してみた。

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