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衝撃の事実?!東村山地名漢字ミステリー

はじめに

東村山市内に同じ読み方なのに漢字が異なる町名と学校名の場所が2箇所存在することをご存知でしょうか?あ、どうもマーヴェラスファウンダーのしんいちろーです。今回は東村山市にまつわる驚くべき地名の謎に迫ります。

「廻田(めぐりた)町」と「回田(めぐりた)小学校」:漢字の謎を解く

東村山市廻田町には回田小学校があります。同じ読み方なのになぜ漢字が違うのでしょうか?東村山市の児童手当が「ジドウテアテ」ではなく「カイケイカンリシャ」で振り込まれるのと同じくらい不思議に思いませんか?(頂戴した児童手当は有難く使わせて頂いてます🙏)この町名と学校名不一致の背景には、江戸時代から続く東村山市の脈々と受け継がれた深い歴史があります。


  1. 江戸時代:廻田町地域は「廻り田村」と呼ばれていました。

  2. 明治時代:「回田村」という表記も使用されるようになりました。

  3. 1960年(昭和35年):回田小学校が設立されました。

  4. 1964年(昭和39年):市制施行に伴い正式に「廻田町」となりました。


つまり学校名は明治時代の表記を、町名はより古い江戸時代の表記を採用したのです。
※市H.Pにもその旨、記載があります。

https://www.city.higashimurayama.tokyo.jp/shisei/shokai/town/megurita.html

小平市の「回田(めぐりた)町」:隣市との歴史的つながり

驚くべきことに隣接する小平市にも「回田町」があります。これは偶然ではありません。享保11年(1726年)、小平市域の野中新田が東村山の廻り田村から土地を購入し、回田新田が誕生しました。この新田が、現在の小平市回田町の起源なのです。
※出典:小平市年表

https://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/files/82321/082321/att_0000005.pdf

氷川神社:地域の絆を象徴する存在

両市(東村山市と小平市)には複数の氷川神社があり、その存在が地域の歴史を物語っています。


  1. 東村山市多摩湖町の氷川神社(創建年不明)

  2. 東村山市秋津町の氷川神社(創建:弘仁9年(818年)説あり)

  3. 小平市回田町の氷川神社(創建:宝暦5年(1755年)説あり)


昭和59年(1984年)再建の秋津と平成元年(1989年)に基礎&屋根改修工事の回田はキレイ

特筆すべきは、武州多摩郡武部(現在の東村山村多摩湖町)から氷川神社と稲荷明神の神霊を勧請した小平市回田町の氷川神社は、新田開発と地域社会の形成過程を示す重要な歴史的遺産となっている点です。また1755年(宝暦5年)から翌年にかけては、東北地方から北関東にかけて宝暦の飢饉が発生しています。そういった歴史的背景も神社建立に向けた地域住民の感情に一役買ったのでしょう。

また個人的に気になるのは秋津氷川神社の創建年です。新編武蔵風土記稿に弘仁9年の記載が根拠ですが、この資料自体が1810年から1830年に編さんされたものです。創建から編さんまで約1000年の時間差があるため、創建年の正確性には慎重な検討が必要なのと、画像キャプションにも記載しましたが現在の建物は昭和59年(1984年)に再建された物です。個人的には多摩湖町の氷川神社が1番年季が入っている雰囲気で神社っぽく、好みですね。

我が家が毎年初詣に行く多摩湖町の氷川神社は所沢市山口の中氷川神社の分祀なので、今度中氷川神社も行って来ようかと思ってます。

「恩多(おんた)町」と「大岱(おんた)小学校」:もう1つの漢字の謎

東村山市には、もう1つ興味深い地名の謎があります。恩多町には、大岱小学校があるのです。この不一致の背景にも上述の廻田町と同じく長い歴史が大きく関与しています。


  1. 江戸時代:この地域は「大沼田」「大怒田」「大岱」と表記され、オオヌタ・オヌタ・オンタと呼ばれていました。

  2. 明治時代:「大岱村」として存在していました。

  3. 1961年:大岱小学校が設立されました。

  4. 1964年:市制施行に伴い「大岱」の読み方が難しいことから、音をとって「恩多町」と改められました。


こちらも上述の廻田町と同じく明治時代の表記を、町名はより古い江戸時代の表記を採用したのです。回田小学校が出来て1年後に大岱小学校が出来てますので、大岱小学校初代校長はきっと回田小学校校長に聞いた事でしょう。「回田小学校さんは町名と学校名の漢字違うけど何で?」って😁
「大岱」という地名も完全に消えたわけではなく、現在でも「大岱小学校」と「大岱公園」に表記が残されており、地域の古い歴史を今に伝えています。
出典:東村山市H.P

https://www.city.higashimurayama.tokyo.jp/shisei/shokai/town/onta.html

地名が語る歴史の変遷

これらの地名と神社の存在は、東村山市の歴史と小平市との密接な歴史的つながりにヒガシムラヤマーヴェラス!一見矛盾するように見える漢字の使い分けも、実は地域の豊かな歴史を反映した「生きた化石」とも言えるでしょう。
皆さまお住まいの地域の地名由来をご存知でしょうか?地名は私たちの足元に眠る歴史の宝箱です。ぜひ一度、身近な地名の謎解きに挑戦してみてください。最後に、この記事を読んでの感想や、皆さまの地元の興味深い地名があればぜひコメントで教えて下さい。また、この記事が面白いと思って頂けた方はぜひ「スキ」や「フォロー」をお願いします🙏皆さまからのフィードバックがより深い地域研究と言う名のモチベーションUPに繋がります。

編集後記

昔の人々も現代人の様に几帳面な方と大雑把な方など様々な性格の方が居て、几帳面な方やバズりたい方が記録や事実をデフォルメした書物なんかを書いてたのかなぁと思ったりします。現代人と使うツールは違えども、過去の人々も根幹は変わらないんだなぁと思ったのが私の率直な感想でした。

ご精読ありがとうございました🙇‍♂️



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しんいちろー(Shinichiro Horino)
リーマンヤメブラザーズ(サラリーマン卒業)し、フリーランスとして新たな挑戦の日々。皆様のチップが、私の創作活動を支える大きな励みになります。応援よろしくお願いします!