過去の自分に出会える奇跡〜試着で泣いた仰天体験
過去の母親との関係に触れている箇所があります。
1着のワンピースを試着して、感情が溢れた。
1人、子どもみたいに泣いた。
やばいよやばいよ。心の出川哲朗さんが慌てる。
こんなところで泣いたら、やばい人ってバレちゃうよ。
やばいよ…
慌てる心の哲ちゃんをよそに、涙は止まらなかった。
それは、スギサキさんの展示会にお邪魔させて頂いた日。
インスタでガールズのみなさんの投稿を見て「いつか着てみたいな…」と、美しいお洋服たちに憧れていた。
ついに私も、ガールズの皆さんと一緒に展示会に参加させて頂いた。
沢山のお洋服を片っ端から試着させて頂く。
どのお洋服も、誰にでも似合うようにこだわり抜いて作られており、全てのお洋服が嘘みたいに自分に似合った。
袖を通す度に、素敵すぎる自分が鏡に映っていた。
あまりに素敵な自分に驚き、「あれ。私って女優だったのかな?!」と勘違いし始めていた。
これがスギサキさんマジックなのだと実感した。
順々に試着する中、オレンジの「祖母の玄関」と言う美しい柄のパフスリーブワンピースを着た。
鏡を見て、感極まる。
溢れる感情と涙を抑えられなかった。私は子供のように泣いた。
パニックになりながらも涙を拭いて、同じ形の黒無地のワンピースを試着。
鏡の自分に懐かしさを覚える。
どこか見覚えのある自分がそこにいた。
なぜ私は泣いたのか。ほんと子どもみたい。みんなをびっくりさせてしまったし、迷惑をかけてしまった。申し訳なかった。恥ずかしい。もう良い歳の大人なのに、やってしまった…。帰宅後ずっと考えていた。
しかし、あの時の感情の動きはなんだったのか。
確実に心が動いた。泣く程の動揺だったのだ。
一体何が自分に起きていたのか。
※※※
実は最近ずっと、女性らしいシルエットの洋服を試着すると、頭にちらつく思いがあった。
「私、母親にそっくりだな」
三姉妹の私は、姉妹の中でも特に母親に似ている。
顔もそっくり。骨格はほぼ同じ、おそらく似合うカラーも同じなのだろう。足のサイズまでほぼ同じ。娘なのだから、それらは仕方がないけれど。
近頃の試着で、母親に似ている自分に出会う度に、「仕方ないよ」と言い聞かせていた。
母親から愛情を受け取ったことはない。母親は、「おしゃれ」が大好きな人だった。私にも洋服をたくさん買ってくれた。私は、それを愛情の証だと思っていた。
母から愛されていると私は信じていたが、一方で自分が過ごす家庭が、世間一般の家庭とかなり違っていることも子供の頃から気づいていた。
そんな中、それが周囲にバレないように必死に振る舞ってきた。
いつも思っていた。
「かわいそうって思われないようにしよう。」
20代の頃、かわいそうな人と思われないために、私は装うことを始めた。
「良いところのお嬢さん」に見える服を好んで着た。
不思議なくらいそれらの雰囲気の服は私に似合っており、うまく擬態することが出来た。(今思うと、骨格と顔タイプにハマる服装だったのだと思う)
子供を産むまでそのスタイルを貫いていた。
産後数年で私はうつ状態になり、母親と決別し、カウンセリングを受け、回復途中で自問自答ファッションに出会った。
産後は「良いところのお嬢さん」スタイルは、現実的に無理で、カジュアルな母親スタイルを模索していた。
昔私が目指していた「良いところのお嬢さん」スタイルとは、具体的にどのような姿だったのだろう。
おそらくそれは昭和モダンのようなスタイル。
テレビドラマでその時代のファッションを見て、素敵だな、と思っていた。
白いブラウスをロングスカートにインして着る、中原淳一のようなスタイル。
ウエストマークのあるワンピース。
明るい色、華やかな柄…。
私がそのスタイルから連想する精神性は、「清楚、純潔、親に逆らわない。日々を豊かに過ごし満足し、従順で、決して声を荒げない人柄」。
私は、そのスタイルを志すことで、それらのことを自らに課していたのだろう。
常識や正論の通じない、母親の機嫌次第で法律がコロコロ変わる家庭で生き延びるために、それは必要だった。
そしてそのスタイルは、社会に向けても「良いところのお嬢さん」と”ちやほや”してもらえて都合が良かった。
過酷な毎日をなんとか生き延びるために、私に必然の精神性とスタイルだったのだ。
※※※
もしかして、あのパフスリーブワンピースを着た鏡の中の私は「20代の頃の自分」だったのではないか。
とんでもなく美しくどこか懐かしい雰囲気のある柄に、かつて自分が好んでいた昭和モダンなお嬢様スタイルを思い出し、当時の「従わなくてはならなかったあの時の自分の姿」を鮮明に思い出したのだろう。
必死で生きてきた過去の自分の姿が鏡に映り、感情が溢れたのかもしれない。
近頃フェミニンな服を試着する度にチラついていた母親の影は、「母親に従って生きて来た自分の姿」がチラついていたと言う事だったのだ。
試着会を思い返す…。
私は他の服を試着し終わった後も、何度もそのワンピースを試着した。このワンピースの何がこんなにも私の心を震わせるのか、その時はまだわからなかったから。
スギサキさんがアドバイスをくれた。
「このワンピースは、あなたが着るとエレガントになり過ぎて老けて見えてしまう。あなたはもっと年齢を重ねた後でも、このワンピースを着れる。」と。
確かに今の私が着ると、似合っているしスタイルアップして見えるのだが、落ち着きすぎてしまう。全く「隙のない」スタイル。これがマダム感なのか…。
とっても美しいワンピース。私があの時目指していたスタイル。
今の私にはもう、自分を「清く正しく従順に」見せてくれるファッションは必要ではない。
けれど、いつか私が本物のマダムの歳になった時、もう一度試着してみたいと思う。
その時は、昔自らに課していた「清楚、純潔、親に逆らわない。日々を豊かに過ごし満足し、従順で、決して声を荒げない」ためではなく、「今までの人生に心から満足しているご婦人」という心からの心情を表すために、着用出来たら…と願う。
スギサキさんが、別の黒のシャツワンピースをおすすめしてくれた。
「こっちの方が、あなたには抜け感が出る。女性らしいものよりも、メンズライクなものを着ると、あなたの女性らしさがさらに際立つ。今の生活スタイルにも合っていると思う」と。
そのシャツワンピースを着た自分に、昭和モダンな雰囲気は一切なかった。
モードだった。
大きめのシャープな襟、キャビアのような小さな黒ボタン。裾のフリル、裾の密かに光るネイビーのライン。
普段自分では決して手に取らないビックシルエットな形。
このワンピースを着て、堂々大股で街を歩きたい。
「このワンピースは誰にも渡さねぇ!」と私は子どもみたいに叫んでいた。
その叫ぶ姿に、昭和の「清楚、純潔、親に逆らわない。日々を豊かに過ごし満足し、従順で、決して声を荒げない」人柄は、微塵も感じられなかった。
そこに20代の頃の面影と母親似の姿はなかった。
このかっこいいシャツワンピースを着たら、全く新しい自分になれそうな気がする。これから新しい自分の人生が始まる…。
魔女の宅急便のキキみたいに、自由に飛んで行けそうだ。
そんな予感にワクワクする。
20代の頃の自分に伝えたい。
「お疲れ様!もう誰にも従わなくて大丈夫だよ。
これからは私、心のままに自由に生きるね。」
数ヶ月前、レディライクスタイルの試着を通して、幼少期の自分を抱きしめた。
今回、パフスリーブワンピースを通して、20代の頃の自分を抱きしめた。
またいつの日か、試着を通して、過去の自分に出会える奇跡が起きるかもしれない。
正直、洋服を試着して泣いたという仰天体験は、生まれて初めてだった。
魂込めて作られた洋服には、人の心を揺さぶる「すんげぇパワー」が秘められているのだ…。
スギサキさんのお洋服の魅力に、これからどっぷりハマりそうである。
気持ちを整理できたところで…
よぉし!あらためて、あのシャツワンピ、オーダーしよう…!ドキドキ。
👗スギサキさんのお洋服は、着る人によって全く違う雰囲気になり、そのワンピースは私が着ると昭和モダンになりましたが、他の方が着ると現代女性の強さを感じられるなど…着る人によって全く違う雰囲気になる事が、驚きでした☺️
(何を隠そう私の顔が、「昭和顔」なのです😇)
♨️この記事の中の「昭和モダンのスタイル」は私の中の勝手なイメージです。世間一般のイメージとは違うかもしれません。
👗中原淳一さんのことは20代の頃大好きで、広尾の淳一ショップ「それいゆ」でアルバイトしていたこともありました。なんと今月で閉店してしまうようです😭
本日は以上です。
お読みくださりありがとうございました😊
なかまち