10年先ではなかったと気がついた日


私の気持ちの整理をつけるために初めて長文を書きました

令和6年の年末9連休で久しぶりに実家に帰ってみたら、父の老いが急激に進んでいた

3年前にパーキンソン病と診断を受け、
同い年の母と二人で暮らしている

久しぶりに会った父は立ち座りにとても時間がかかるようになり、あと10センチで座れるところで動きが止まってしまう

強張りが強い日はベッドからの起き上がりにも母に引っ張ってもらわないとならない状態
着替えも手伝わないととても時間がかかっていた
お風呂上りなど隙間風の多い部屋ではせっかく温まった体がどんどん冷えていってしまう
それなのに、パジャマのズボンをはくと気持ちが悪いと、綿のスパッツとヒートテックの2枚の昔のおじいちゃんのような格好で寝ている

一年前は歩幅が狭くなっていたり、動き出しに少し止まってしまっているくらいだったけど、確実に進行しているパーキンソン病に恐怖を感じた

私は後10年ここで暮らすなら、トイレやお風呂などをリフォームしてみたらと提案すると、母はすぐさまそれは無理だよと言う

今年はなんとか家で暮らせているけど、トイレに行けなくなったり、毎回ベッドからの起き上がりができなくなったらもう家では暮らせないとはっきり話してきた

いつかその話が出てくるとは覚悟していたけれど、こんなに早くその日がくるなんて

実家に帰るまでは、少し人生会議みたいに二人の気持ちを聞けたらなと考えていた私は甘かったのだなと思い知らされた


秋には不眠で数日眠れない日が続いた父が、突如娘の私が交通事故にあって電話してきたと言ってカバンにヒモやハサミなど入れている姿を母が見つけた
そんな事はないから大丈夫だと伝えても手を止めず、顔つきもいつもと違いとても険しくなっていた父を止める為に、母は訪問看護の事業所に電話をして看護師さんに相談した
看護師さんはすぐに訪問しますと言ってくれたが、電話口で話を聞いているだけでも一刻を争う状況なので、もしこれ以上危険な行動をとるようなら私を待たずに救急車を呼んで下さいと言ったそうだ
そう言われた母はわかりましたと言ったものの、近所の人になんて言われるか等色々考えがよぎったがその反面この状況をわかってくれたことがありがたかったとも話していた

看護師さんが家に来て父の話や様子をみて、お母さんやっぱり救急車を呼びましょうと提案してくれてそのまま基幹病院に入院となった
入院中は万が一のこともあり、椅子やベットに拘束された時期もあったようだ
約1ヶ月の入院で投薬内容を見直し退院となったが、退院後は良くなったり、悪くなったりを繰り返し緩やかに下降している

母にしてみれば、妄想が出た時の別人のような怖い父と少しずつ動きが悪くなっていること、そして母一人で家にいることがとても辛かったようだった
薬の服薬確認や飲み込みが弱くなった父の食事作りや着替えの手伝いなど大変ではあるけれど、父の世話を何もできないことや心配しすぎる性格が相まって、それならいっそ二人でケア付き高齢者住宅に入れば一緒に暮らせる方が幸せだという結論に至ったようだった
でも、本当に思い描いたところと現実が一致するものだろうか?

息子のグループホーム探しであちこち見学している私は100%満足できる所とは出会えてない経験から不安が先立っている


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