ときには流れに思いきり身を任せてみる
ご覧いただきありがとうございます。
本日もみなさんと私自身に、心からエールを送ります。
陰ながら応援していますので、どうか届きますように!
こんにちは!
Yu(ゆう)です。
本日は、余白の大切さについて綴りたいと思います。
日々私たちは必死に生きています。
無意識のうちに身体には力が入り、心は緊張状態にあります。
ここ数日、私は今後のキャリアについて悩み事をしています。
それ自体は悪いことではないと思っています。
自分なりに将来を真剣に考えるが故の悩みですから。
ただ、答えの出ないことをぐるぐると考え込んでしまっていました。
そして、疲れ果ててしまいました。
そんななかで気付いたことです。
焦らず、流れに身を任せる
そんな時、妹から、景色が綺麗で風が気持ちよい場所でゆっくりしたいから一緒に行こう、とお誘いをもらい、行ってきました。
仕事終わりの夜の時間。
水の涼しさを含んだ爽やかな風、美しく光る月をきらきらと反射する水の流れ、きらきら同士がぶつかり合って溶け合う波の音、私にとっては故郷を思い出す磯の香り。
シートを敷いて芝生の上に座る。背中をつけると少しチクチクする。土のような畳のような香り。いつの間にか幼い頃の記憶のなかにある香りになっていることに気付く。
空には月と少しばかり星。同じような光が周囲にたくさん見える。人工的なそれらは自然の光とは全くの別物であるが、それはそれで光の街を創り出し、群れを成して煌びやかに輝いている。
星は透き通るような輝きの線を地上にいる私まで容易く届けてくれる。月は真っ暗な夜のなかで大きな光を放ち、優しく包み込むように照らしてくれる。自分自身は完全な球体でないのに、そこから放たれる光は円を描く。神秘的に感じられる。
こんなことを感じながら、凝り固まった自分を解放していく。
ぐるぐると平坦なレールの上を走っていた自分に気付き、空と土のある道へ戻る。
一生懸命考えることは、真剣に自分の人生と向き合っている証拠だと思います。
ただし、ぐるぐると考え込んでいる場合には、そうとは言い切れません。
視野が狭くなり、針の穴ほどの範囲でしか考えられていない可能性があります。
きっと、私たちの世界はもっと広いです。
思いもよらないところで良い出会いに巡り会う可能性も十分にあるのだと思います。
そもそも、視野を広げる、といっても自分の知り得る範囲が限界です。
だからこそ、常に視野を広げる意識を持つことが大切なのだと思います。
その努力を続けることで、自分一人では知り得なかった範囲にまで広がることができ、過去のどんな決断も必要不可欠な要素として受け入れることができるのだと思います。
決断するために考える
ここ最近、私はぐるぐると同じことについて考え込んでしまっていた訳ですが、妹がお出掛けに誘ってくれたお陰で、いかにただただ思い悩んでいるだけであったかに気付くことができました。
自分にとって悩み事となっている部分はどこか、それは何かと比較した上での迷いなのか、何かと比較しているのなら天秤となっている要素は何か、今の自分にとって選択肢となり得る条件は何か、仮にどちらかを選択した場合どちらの方が優先事項を多く含んでいるか、
など、決断するという目的に向けて考えることができれば、自然と今の自分に適した選択ができるようになるかと思います。
しかし、焦っていると目的を忘れてしまいます。
自分の目標に向けて進むなかで、いくつか選択肢がある場合には、焦らずじっくりと考える時間が必要です。そして、ここで考える目的とは、「決断をするため」です。
決して全ての選択肢のあらゆるメリット・デメリットを網羅的に洗い出し、所詮は想像の範囲でしかシュミレーションできない将来について果てしなく考え込むためではありません。
視野が狭まっていては、良い決断はできませんし、他にある可能性に気付くことはできません。
どれか一つに固執せず、意識的に視野を広げてみることが大切なのだと思います。
これ良さそう、だけれど、他にも何かあるのかな、と。
今回のぐるぐるより、この世はすべて、知っている・いないの差なのだと感じました。
物事について知識があれば、選択肢は一つではないことを知っているため、焦らず余裕を持って、自分なりの納得感のもとに決断することができます。
知識がないと、選択肢は限られ、その中でどうにか自分を当てはめて無理に突き進もうとしたり、焦りが募り何かに追われているような感覚のなか、不本意な決断をしてしまう可能性があります。
「最高の人生は自分で創る」
人生は選択と決断の連続なのだと思います。
とすると、最高の人生は最高の決断と共にある、と言えそうです。
最高の決断とは、私にとっては、自分なりに精一杯考えた上で納得感を持って決断することを意味します。
決断がもたらした結果ではなく、決断に至った過程です。
自分の心に正直に意思決定をしたいと思っています。
決断がもたらす結果は、失敗でも成功でもどちらでも良いです。
決断はその先の結果まで左右しません。
その結果は自分が努力し続ける限りは常に成長へと繋がり、より良い舞台へと導いてくれると考えています。
ただし、自分の心に嘘をつくことなく決断できたか、は結果を左右すると思います。
自分の心に嘘をついて決断したことは、納得感がありません。
他の誰かの意思をもとに代理で決断したような、他人事な感覚に陥ります。
決断は、目標達成に向けて必要な意思決定であり、重要な行為ですが、それ一つで目標を達成させてくれるものではありません。
自分で心に強く誓った目標でも、辛い場面はきっとあります。
その時、自分と誠実に向き合い決断したことであれば、きっと頑張ることができます。
心に嘘をついて決断したことであれば、多分途中棄権してしまうと思います。
私にはあまり好きではない意味での逃げになってしまいます。
次に繋げられない逃げです。
自分自身で納得感を持って決断したことは、その途中で逃げても、その先の自分に必要な情報をたくさん与えてくれます。その意味で、このことは逃げではなく、方向転換と言えます。
しかし、自分の心に嘘をついて決断し、困難に直面して途中で辞退することは、その先の自分に必要な情報も特にないため、次は方向転換したいのか、どの方向へ向かいたいのか、全く見当もつきません。
それでは、経験したとは言い難いと思います。
目の前に起こった出来事に時間を費やしただけになってしまいます。
自分の目の前に起こった出来事に考えを巡らせ、決断し、実際に行動してみてはじめて、経験と言えるのだと思います。
日常の小さな決断も「最高」を積み重ねる
最高の人生は自分で創るもの。
日々の小さな決断も、自分なりの判断基準を持って「最高」を積み重ねていくことが大切なのだと思います。
そのためには自分をよく知り、意識的に視野を広げる努力をすることです。
そして、一度決断したら、自分自身を大いに褒めることも大切だと思います。
結果は関係なく、自分なりに考え抜き決断したことに対して、まずは感謝の思いを伝えること、そして、わたしって最高!と自分自身に伝えることも良いことだと思います。
そのためには、自分を大切に扱う余白が必要です。
常にぐるぐると考え込み、両手いっぱいに何かを抱えていては、余白を持つことはできません。
いつの間にか一生懸命に考えるうちに、身体と心が力み苦しくなってしまっていたとしたら、ときには自然の流れに思いきり身を任せてみるのも良いと思います。
時間をかけてじっくりと流れを感じ、思いきり身を任せて脱力してみると、きっと少しばかり余白をつくることができると思います。
最近読んでいる松浦弥太郎さんの著書『いちからはじめる』にも、2割の余白をとっておく、といった趣旨の内容が記されています。
今日は『余白』を意識して一日過ごしてみようと思います。
みなさんも心穏やかな一日をお過ごしください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
Yu
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