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「胃に異常がないのに上腹部が痛むのはなぜ?」―痛みを感じるメカニズムと不思議な腹痛の正体とは。

要旨

上腹部の痛みは「胃や腸に炎症や潰瘍がなければ問題ないはず」と思われがちですが、実際には検査で大きな異常が見つからないにもかかわらず、長引く痛みに悩まされるケースが少なくありません。近年、このような“原因不明”とされる上腹部痛の背景には、脳と消化管が相互作用を及ぼし合う複雑な仕組みが隠れていることがわかってきました。実は、単に目で見える病変の有無だけでは説明しきれない「過敏性」や「神経回路の変化」など、さまざまな要因が複雑に絡み合って痛みが起こっていると考えられているのです。

例えば、機能性ディスペプシア(FD)という代表的な疾患が挙げられます。胃や十二指腸に明らかな傷が見つからないのに、みぞおち付近の痛みや灼熱感が続くという状態です。一見すると「気のせい」や「ストレスのせい」と思われそうですが、実際には粘膜のバリア機能のわずかな乱れや、神経伝達が過剰に反応してしまうことなどが重なって痛みとして現れる可能性があります。特に上腹部痛が持続する状態では、痛みの情報をやり取りする神経ネットワークがさらに過敏になり、少しの刺激でも強い痛みを感じるようになるかもしれません。

では、一体どのような仕組みが具体的に働き、なぜこのような過敏な痛みが生じるのか――。また、胃酸を抑える薬や三環系抗うつ薬といった治療法がなぜ有効とされるのかも興味が尽きません。生活習慣や心理的要因、さらには栄養状態などが絡み合うケースもあり、上腹部痛のメカニズムを紐解いていくと驚くほど多面的な要素が浮かび上がってきます。

今回のコラムでは、こうした「見た目ではわからない痛み」の複雑なメカニズムや、最近注目されている十二指腸粘膜の脆弱性に関する知見などを多角的に紹介しています。「不思議と検査に引っかからない上腹部痛の謎」をさらに深く掘り下げる内容となっておりますので、日常診療でもなかなか改善しない痛みに悩む方や、その背景を理解したい方にとって、一読の価値があるでしょう。果たして“原因不明”の痛みには、どんな脳と消化管のドラマが潜んでいるのか——ぜひ本編をご覧になってみてください。

はじめに

「上腹部が痛くて病院を受診したものの、内視鏡検査では胃に目立った炎症や潰瘍が確認されなかった」という経験をお持ちの方は少なくありません。このように見た目上は問題がないのに痛みが生じる背景には、末梢神経から中枢神経へと至る複雑な痛み伝達の仕組みや、いわゆる「過敏性」が深く関与しています[1-4]。特に機能性ディスペプシア(FD)の一亜型であるEpigastric Pain Syndrome(EPS)を含めた「機能性消化管障害」では、内視鏡や画像検査で器質的異常が見当たらないにもかかわらず、慢性的な腹部症状が持続することが特徴です[2,5,6,10]。本稿では、上腹部痛の神経生理学的背景から機能性疾患の病態に至るまで、医学論文を引用しながら詳しく解説し、さらにEPSにおける胃や十二指腸粘膜の脆弱性と治療法についても触れたいと思います。

1.痛みは「脳が感じる」感覚である

痛みとは、局所に生じた炎症や組織損傷のみで決定されるものではなく、末梢神経から脊髄を経て脳へ届く信号が脳によって「痛い」と解釈される過程で成立する感覚です[1,3,7]。
中でも内臓由来の痛み(内臓痛)は、皮膚や筋肉に比べて脳内での「地図」があいまいであるため、どの部位からの信号なのかを厳密に特定しにくいという特徴があります[1]。例えば急性虫垂炎の初期段階では、みぞおち(心窩部)付近に痛みを感じることがありますが、これは脳が「上腹部あたりからの痛み信号」として大まかに認識しているためで、炎症が進行するとより局所の神経が刺激され、痛みが右下腹部へ移動します。
このように、痛みの知覚は単なる器質的な損傷や炎症の有無だけで決まるわけではなく、神経伝達や脳の情報処理機構といった多層的な要因によって左右されるのです[1,7]。

2.「異常が見えないのに痛む」理由—機能性疾患と過敏性

上腹部痛があっても内視鏡や画像検査で目立った異常が確認できないケースは、いわゆる「機能性消化管障害」を考慮する必要があります[2,6,10]。代表的なものとして、機能性ディスペプシア(FD)や過敏性腸症候群(IBS)が挙げられますが、これらはいずれも器質的病変がないにもかかわらず慢性的な腹部症状を引き起こします[6,10]。
機能性疾患には、神経系が過度に敏感になる「過敏性」が大きく関わっているとされ、わずかな胃腸運動や腸管内圧変化でも強い痛みとして認識されやすい状態となります[3,7]。また、心身のストレスや心理的要因による中枢神経系の痛み認知の変容も、痛みが持続・増幅する一因となり得ることが示唆されています[7,9]。

3.内臓痛の曖昧さと上腹部痛の捉え方

内臓痛の特徴として、内臓同士の神経支配領域の重なりや、脳における投射マップの不明瞭さから、痛みが「どこから来ているのか」をはっきり識別しにくいことが挙げられます[1]。上腹部痛の場合、必ずしも胃や腸だけが原因とは限らず、胆石症や慢性膵炎、逆流性食道炎(GERD)といった他臓器の病変が隠れていることがあります[2,6]。また、非常に複雑なケースとして、いくつかの疾患や心理的因子が重なり合い、痛みの病態がより曖昧かつ慢性化する場合もあるのです[2,6,9]。
一方で、炎症性腸疾患(Inflammatory Bowel Disease: IBD)のように寛解状態にあるにもかかわらず、痛み伝達路の可塑的変化(ニューロプラスティシティ)により痛みを感じ続ける場合もあります[7,9]。このような慢性痛の背景には、繰り返される痛み刺激によって神経や脳が「痛みを覚えやすくなる」状態が形成されている可能性が指摘されています[7,9]。

4.Epigastric Pain Syndrome(EPS)の病態生理

機能性ディスペプシア(FD)の中でも、上腹部痛や灼熱感を主症状とするサブタイプがEPS(Epigastric Pain Syndrome)です[10,11]。EPSでは、食事との関連が明確ではない上腹部痛や不快感が持続ないし反復しており、胃の運動機能障害や内臓感覚の過敏性が主要な病態と考えられています[10-12]。
近年の研究では、EPSを呈する患者の十二指腸粘膜が酸性環境や刺激に対して脆弱化している可能性が示唆されています[12]。具体的には、十二指腸上皮のトランスエピテリアル電気抵抗(TEER)の低下、および炎症性細胞(例:マスト細胞、IgEを産生する形質細胞)の浸潤増加などが報告されています[12,13]。これらは、粘膜バリアが崩壊しやすくなることによってわずかな刺激でも痛みを誘発しやすくなるメカニズムを裏付ける所見と考えられています[12-14]。
さらに、EPS患者では胃の運動機能だけでなく十二指腸における知覚過敏も存在するため、食事や胃酸だけでなく、軽度の刺激でも痛覚閾値が低下し、上腹部痛として脳に伝わりやすい状態になっている可能性があります[10,12,13]。

5.EPSと機能性疾患への治療アプローチ

EPSを含む機能性ディスペプシアの治療は、まず胃酸分泌抑制療法が第一選択とされることが多く、プロトンポンプ阻害薬(PPI)やH2受容体拮抗薬が使用されます[10,11,14]。これらの薬剤により胃酸の分泌を抑えることで、胃や十二指腸の粘膜刺激を軽減し、痛みや不快感を和らげることが期待されます[10-11]。
一方、PPIやH2ブロッカーを使用しても症状改善が乏しい場合には、三環系抗うつ薬(TCA)が選択されるケースもあります[7,14]。これは、TCAが中枢神経系の痛み伝達を修飾し、過敏になった内臓痛覚を軽減する可能性があるためです[7,14]。さらに近年では、脳腸相関を改善する目的で選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)や、腸管機能を調整する薬剤なども検討されています[10,11]。
加えて、食事指導やストレスマネジメントなど生活習慣の改善を取り入れることも重要です[14]。機能性疾患は心理的ストレスと深く結びついている場合があり、適切なカウンセリングやリラクゼーション法を導入することで、長期的な予後を改善させることが期待できます[7,14]。

6.腹腔内の他要因と「見えない痛み」の理解

上腹部痛という症状は単一の臓器異常にとどまらず、膵臓・胆嚢・食道など複数の臓器からの刺激、あるいは神経系・心理的要因が複合的に影響して生じる場合があります[2,6,9]。特に、痛みが長引くケースでは、客観的に捉えられる異常がないにもかかわらず、神経回路の可塑性変化によって過敏な痛み応答が固定化されるリスクが指摘されています[7,9]。
また、血流障害や腸管内圧の細かな変動など、画像診断では捉えきれない微細な生理学的変化が上腹部痛の原因となる可能性も否定できません[3]。こうした複数要因の存在を念頭に置くことで、痛みの原因検索の際に「検査では異常がないのに痛い」という患者様の不安感を軽減し、より包括的かつ的確な治療方針を検討できるようになるでしょう[2,9]。

7.まとめ:痛みは見た目ではなく脳の解釈

上腹部痛は、必ずしも内視鏡や画像検査で確認できる器質的な炎症や病変が存在するわけではありません。そこには、過敏性や神経回路の可塑性変化、あるいは胃や十二指腸粘膜バリアの脆弱性など、多面的な要因が複雑に絡み合い、脳が「痛み」として認識する状態が生じています[2,5-7,9,10,12-14]。
特にEPSを含む機能性ディスペプシアにおいては、酸刺激に対する粘膜抵抗性の低下や炎症細胞の浸潤といった局所的変化と、中枢神経系の過敏な痛み認知が組み合わさることで症状が顕在化する可能性があります[12,13]。治療としては酸分泌抑制薬やTCAなどによる薬物療法のみならず、生活習慣の見直しや心理的サポートの確立が重要です[7,10,14]。
このように、「検査に異常が見られないから痛みは気のせいだ」という単純な図式ではなく、痛みの本質が「脳が感じている感覚」であることを理解することが必要です。その上で、個々の患者様の背景や症状の特徴に合った多角的なアプローチを組み合わせることで、慢性的な上腹部痛に対する効果的なケアや治療法を見出せると期待されます[2,6,10]。


【引用文献】

[1] Babakhanlou, R. “Upper Abdominal Pain.” InnovAiT, 2018.
[2] Mizuno, J. et al. “Upper Abdominal Pain.” Chronic Pain Management in General and Hospital Practice, 2020.
[3] Holdstock, D. et al. “Observations on the Mechanism of Abdominal Pain.” Gut, 1969.
[4] Vassilakopoulos, T. et al. “Contribution of Pain to Inspiratory Muscle Dysfunction After Upper Abdominal Surgery: A Randomized Controlled Trial.” American Journal of Respiratory and Critical Care Medicine, 2000.
[5] Johnson, C. “Pain in Upper Abdominal Malignancy.” Turkish Journal of Medical Sciences, 2007.
[6] Grimpen, F. et al. “Rational Investigation of Upper Abdominal Pain.” Australian Family Physician, 2008.
[7] Grundy, L. et al. “Visceral Pain.” Annual Review of Physiology, 2019.
[8] Flasar, M. et al. “Acute Abdominal Pain.” Medical Clinics of North America, 2006.
[9] Bielefeldt, K. et al. “Pain and Inflammatory Bowel Disease.” Inflammatory Bowel Diseases, 2009.
[10] Talley, N. “Functional Dyspepsia: New Insights into Pathogenesis and Therapy.” The Korean Journal of Internal Medicine, 2016.
[11] Yamawaki, H. et al. “Management of Functional Dyspepsia: State of the Art and Emerging Therapies.” Therapeutic Advances in Chronic Disease, 2018.
[12] Okata, T. et al. “The Impact of Duodenal Mucosal Vulnerability in the Development of Epigastric Pain Syndrome in Functional Dyspepsia.” International Journal of Molecular Sciences, 2022.
[13] Vanheel, H. et al. “Pathophysiological Abnormalities in Functional Dyspepsia Subgroups According to the Rome III Criteria.” The American Journal of Gastroenterology, 2017.
[14] Vanheel, H. “Therapeutic Options for Functional Dyspepsia.” Digestive Diseases, 2014.
[15] Oh, J. “Functional Dyspepsia.” The Korean Journal of Gastroenterology, 2019.

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