カール・シュミットと全体主義の時代の政治
シュミットはこれまたナチスドイツ時代の政治学者です。しかし、アーレントやアドルノ&ホルクハイマーとは対照的にナチスに加担した時期があります。
なぜシュミットを取り上げるかと言えば、近代的な思考の一部分を研ぎ澄ました思考によって近代の問題点を浮き彫りにしているからです。シュミットの思想的課題は政治の特異性と欧州にとっての理想の国際秩序を秋からにすることでした。
『政治神学』と『政治的なものの観念』
前期シュミットは政治の特異性の問題に取り組みます。
『政治神学』という著書において、「例外状況」における考察を行います。例外状況とは現行の法秩序が停止され、人々の生死が賭けられている状態です。例外状況の考察を通じて、シュミットは主権者についてある洞察を得ます。それは、
・主権者が例外状況か否かを決定する
・主権者が例外状況を脱するために何をなすべきか決定する
ということです。
つまり、法が停止してしまうような状態においても主権者という政治的アクターは残存するどころか、例外状況だからこそ主権者が絶対的な力を発揮するということです。
『政治的なものの観念』においては、タイトル通り政治的なものがどんなものか秋からにされます。
シュミットは人間にとっての各領域(経済や芸術など)には各領域に特有の基準があるとします。経済なら富ですし、芸術なら美です。この基準が各領域を区別するとも言えます。シュミットは政治的領域の区別は「友/敵の区別」にあるとします。
ここでいう友と敵は個人的な関係ではなく、個人的に嫌いでも戦争でともに戦うなら友であり、殺し合うなら敵です。つまり、シュミットは政治を国家において考えています。なぜなら、殺し合いにまで発展する<戦争状態>においては、まず既存の法秩序は停止していると考えられますので、主権者による線引きが出てくるからです。
『大地のノモス』
後期シュミットは欧州にとっての理想の国際秩序について考察します。
そもそも近代はヨーロッパ型の国際秩序が世界中に広まった(普遍化した)時代ですので、シュミットがやりたかったのは国際法の普遍化への批判です。
著書『大地のノモス』において、シュミットはヨーロッパを家族のようにまとまった一つの地域として成立しているとみなします。言い換えれば共通のルールや規範があるということです。シュミットはこれによってヨーロッパ内では欧州公法が通用し、戦争の絶対化が抑えられていると考えていました。
ここでのポイントは「家族としてのヨーロッパ」はアメリカ大陸という外部の発見によって可能となったことです。その証拠に、植民地では欧州公法は適用されず無制限に暴力が振るわれました。
シュミットは欧州公法が世界中に広まり国際法となったことで、ヨーロッパ内外の区別による戦争の抑制が出来なくなったと主張します。
1つには戦争が犯罪化されたことで、敵は利害が対立しているので争うしかない決闘相手から、非道徳的な存在となったことがあります。また、空爆が可能になったことで戦争の目的が占領から殲滅になったことも一因です。
国際秩序から人間個人の本質によった解釈をすれば、人間は真正な自己に達したいとい実存的な欲望を持っているものの、自分自身では自己を定立できない存在であるため、「他者」との関係を求めることで自己を定立するしかないのです。
しかし、国際法の普遍化によって「他者」がいなくなったので、相手を殲滅させる多摩で闘争を絶対化させてやっと自己の定立を実現させている、というのが20世紀前半の惨劇の原因ではないかということです。
参考文献
上野成利 暴力(思考のフロンティア) 2006 岩波文庫
蔭山宏 カール・シュミット-ナチスと例外状況の政治学- 2020 中央公論新社