秋の昼下がりの詩
「次第に自殺の誘惑にとらわれだした。ピストルを手にしていると、希望とか絶望とかいった言葉の意味は完全に消え去るのだった……ともかく自分の人生に何らかの意味を授けねばならないという反省に到達するのだった。」
(眼球譚)
五時四十分にもなると、部屋には青い光が差して、それはまったく明るくない。昼間の太陽は偽善者のように思える。もうすぐ六時になり、このまちのすみずみに、童謡のメロディが流れて、残された活力は無に帰すのだ。
病んだ水死体にフェラチオされる時によくある、胃が凍りつくような不安感と、恐怖が忍び、やってくる。それが夜で、暗闇の一滴一滴に張り付いて、ゆれている。
フィッシュマンズの「LONG SEASON」が終わった今、もはや誰にも同情を請えない。
六時になり、例のメロディが流れだした。
家庭と学校に縛り付けにされて、涙を流したい気持ちで、宿題の答えを必死にかきうつしている子供達には、このメロディは明日の学校、教師の無限の講釈のはじまりにも、きこえただろう。
俺は今日も己の欲と、自己愛に翻弄され、その集約としての悪夢をみるかもしれない、じわりとした恐怖を、頭の片隅に置き、睡魔にしゃぶりつくされるまで、起きていたいと願うのだった。