クラマラス 25話 (長編小説)
北野さんは部活を休むようになったが、河原でのセッションは僕の希望もあって続けていた。
「北野さん、部活、出ないの?」
「うん、みんなが許してくれるはずないじゃん。もう出られないよ」
「でも、ここには来てるじゃない」
「それは!・・・だって葛西くんとの演奏は楽しいんだもの」
「嬉しいけど、違うよね?北野さんはトランペットから離れられないんだよ」
「それはそう・・・このことは吹部のみんなには言わないでね」
「言うつもりはないよ」
学校からこの場所まで離れているとは言っても生徒は近くを通る。バレない訳はないと思う。多分北野さんだってわかってるはずだ、そして吹奏楽部の人がここに迎えに来られない理由もわかってるはずだ。
「明日から新しい曲をしよ!」
「え?うん、わかった」
僕が吹奏楽部と北野さんとの今の関係性を考えている時に突然言われ驚いたが、それでもこの時間が少しでも北野さんの気持ちを癒してくれるならそれで良いと思い快諾した。
試験期間が始まった。私は特段問題ない、普段から勉強の要領はいいので高得点は狙える。それに今回は2週間前から勉強を始められていて自信しかない。葛西くんは「やばいよ」と言っていたが多分大丈夫だろう、葛西くんも要領が良い。
あれから筒井とは会っているが部活の話はしていない。不自然な間が生まれる時は逃げ出したい気持ちになる。
試験期間中はこんなにも静かになるんだなと、部活動をしてないとこんなに時間を持て余すんだなと良くわかった。慣れてしまえばなかなか悪くない。葛西くんはこんな日々を過ごして来たんだな、そして今は騒々しい日々の中にいるのだなと思った。葛西くんに少し悪いことをしたのかなとも思った。
中間テストも終わり、2週間後には文化祭。去年まで僕は一切関係のない日だった。次の日の模擬店の店番の時間を確認するぐらいで体育館で行う文化部のフェスにも興味はなかった。でも今年は違う。出演する側になったのだ。後2週間、練習の日々が始まった。
「いやぁ部活久しぶりだからテンション上がりますね」
大原は言っていたが僕は気が気ではない。曲が出来ないのだ。
「そんなに思い悩むなって」
浦野は言う。
「そうですよ、曲は十分あるんですからバックアップって形で作っておきましょ」
文化祭のライブで新曲を披露する。新曲と言っても見る人のほとんどは僕たちのライブを初めて見る人たちなので新曲も既存曲もないのだが。
気分としては新曲を1曲入れたいのだ。それはきっとは意味のあるものになると思う。僕は気持ちが急ぎすぎて声を荒げてしまった。
「それじゃダメなんだよ!新曲がいるんだ!」
「すみません」
大原は体を竦めていた。その姿に僕は我に帰る。
「あ、ごめん。ちょっと考えるから曲は待ってて・・・練習をしよう」
取り繕って言った事を浦野は感じ取ってくれて
「はいしましょう」
そう言ってくれた。
「葛西くん」
北野さんがいつもの河原にきた。
「今日も難しい顔して。まだ曲が出来ないの?」
「そうなんだよね、なかなか出来ない。曲の方はいいんだけど、歌詞がね、難しい」
「そうかぁ、頑張れ若人よ」
「なんだよそれ?」
「ちょっと待ってチューニングするから」
僕たちはそれから2人で何曲が演奏した。近くを通ったおばさんが拍手をしてくれた。
「ありがとうございます」
北野さんは丁寧にお礼を言う。僕は恥ずかしくて俯いてしまう。
「いやぁ貴方たち上手ね。惚れ惚れしちゃった」
「歌がいいですよね」
「えぇ、ほんと歌が上手。プロになったらいいわ」
おばちゃんよ、そんなに簡単なものじゃないだろう。
だけど嬉しかった。ありがとうおばちゃん。
「それじゃあ、がんばってね」
「はい、ありがとうございます」
そう言っておばちゃんは帰っていった。
「そう言えば北野さん、見てくれる人がいても大丈夫だったね」
「多分人が少なかったからだよ」
「だったらもう大丈夫じゃない?」
「大丈夫じゃないでしょ」
私はどうしたいのだろう。このまま葛西くんとここで演奏しているのは楽しい。それだけでいいのならいい。だけどそれだけでいい訳ないのはわかっている。いつまでもこのままではない。
これから先のことを考えると私には何も無いことがわかってしまう。私から音楽を取ったら何が残るんだろう?中学校からこれだけをやって来た。これしか知らないのに今私は吹奏楽を失ってしまった。頭でわかっていても心がわかってくれない。
私はどうしたいのだろう・・・
葛西くんは今日もあまり機嫌が良くない。この間言っていた曲が出来ないのだ。もうかれこれ1週間が経っている。浦野くんに呼び出された。
「そんなに葛西くん追い詰められているの?」
「そうみたいでさ、それで今日は北野さんを呼んだわけ」
「え?そこで私なの?」
「いや、葛西と一番仲良いでしょうよ」
そうなんだ、私一番仲良いんだ。
「で、今日は葛西を気分転換に連れ出してほしいわけ」
「なるほど!心得ました!私が葛西くんを気分転換させてくるよ」
「助かる!こっちとしても参っててね」
「ギスギスしてる感じ?」
「うーん、練習はさ、いいんだよ。曲もその完成しない新曲以外はもうバッチだし。ただ練習した後の休憩の時間が腫れ物に触るようにしないといけないから。正直めんどくさい」
と言いながら浦野くんは笑っていた。
「じゃあ葛西くんが帰って来たら私たち出るね。ところで浦野くん筒井とはどうなの?」
「は?筒井さん?」
「うん筒井。浦野くんって筒井の事好きでしょ?」
「は?え?どうして?」
「だって浦野くんわかりやすいもん」
「あー・・・うん。そう、そうです。うん、そうだね好きだね」
「告白するの?」
「いやいや、僕なんかが告白しても駄目でしょ」
「なんで?わからないじゃん」
「だって俺、オタクだよ?家帰ったらずっとPC触って5ch見て、キーボード練習してって感じだよ。そんな奴に筒井さんが振り向いてくれるはずないじゃん」
『はずない』か・・・
「でもそうやって決めつけないで、筒井はそうは思ってないかもしれないよ」
「いいよいいよ筒井さんは俺の憧れでいいよ。お!葛西来た。おーい葛西、北野さんこれから出かけたいって言ってるからついて行ってあげな」
「は?練習は?」
「いいのいいの、葛西だってもう一通り合わせるだけで大丈夫ってぐらいの完成度なのはわかってるだろ?後は新曲だけ」
「そうだよ、だから」
「『だけど煮詰まってて出来ない』だろ?だったら気晴らし、してこいよ」
「・・・わかった」
「よし決まり!なら北野さんよろしくね」
浦野くんと葛西くんの関係性。デリケートなところをうまく突ける関係性は凄いと思う。筒井や橋本ともそんな関係になれてたかな?
「葛西くん、いこ」
「行くってどこに?」
「え。うーん・・・大原楽器?」
「また?」
私たちは大原楽器に到着した。
「そう言えば前もこんな感じでこの店に来たことあるよね」
「うん、まだバンド始める前だった」
「そうそう、あの頃と比べて葛西くんだいぶ大人になったね」
「親戚のおばさんじゃないんだからやめてよ」
「ごめんごめん。って『おばさん』って誰がだよ!」
そんなやりとりをしながらお店に入ると葛西くんが立ち止まった。
「谷岡さんこんにちは」
「お、葛西くんじゃないか」
どこかで見たことあるような顔だ。誰だったろう?
「今日は彼女連れ?」
「え!いやいや、音楽仲間ですよ」
「ふーん、あーそう」
そう言うと谷岡さんと呼ばれるおじさんは含み笑いをした。
「紹介するねこちら谷岡さん。この間のライブに呼んでくれたOGRのボーカルの人」
なるほど、だから見たことがあるのか。
「初めまして、私、北野って言います。葛西くんとはお友達です」
「初めまして北野さん。谷岡って言います。それを強調すると逆に怪しいですよ」
そう言って谷岡さんは豪快な笑い方をした。恥ずかしい。
「で、今日は二人でデート?」
「いえ、お互い音楽をするので。北野さんはトランペットを吹きます」
「そうなの!すごいじゃん。うちのバンドに入らない?」
「ちょっと!すかさず勧誘しないでくださいよ」
二人のやりとりに困惑してしまった。
「おっと、失礼、二人の邪魔しちゃ悪いね」
谷岡さんは私の困った様子に気づいたようだった。
「谷岡さん、ちょっといいですか?」
「何?どうした?お金ならないよ」
「いや、それは大丈夫です」
葛西くんは間髪入れずに真剣な表情で遮った。
「そんなにねぇ真面目に否定されてもねぇ。で、何?」
「谷岡さんは、歌詞に煮詰まったらどうしてます?」
「ん?歌詞?煮詰まってんだ?」
「はい、そうなんです」
「そうだなぁ、うまいことは言えないけど、取り敢えず歌ってみるかな?意外と歌えばしっくりくることもあるし、後は自分の今の気持ちを素直に言葉にしてみる。楽しいことや辛いこと。あるでしょ?それを言葉にしてみる。難しい言葉にして難しく考えてたら何も自分のことを伝えられないよ。だから一度思ったままの言葉を書いてみてそれから色々頭使って考える。それの繰り返しでいいと思うよ」
まず、やってみる。それから考える。私も聞いてみようと思った。
「でも・・・でも、やろうとした時に足がすくんで前に進めなかったらどうしたらいいんですか?」
「え?うーん。確かに難しいね、でもね、俺が思うのは、休んでもいいと思うんだ。無理をすることはない。無理をしたら余計に傷がつく。だから無理をしない。自分が今一歩踏み出せないなら休む。それで少し勇気が出て来たら思い切って踏み出してみる。誰かの力を借りてもいい。誰かに手を引っ張ってもらってもいい。その時はその時に決める。それでいいと思うよ」
その言葉に心が軽くなった。今の言葉に救われた。
「ありがとうございます。私、大丈夫なんですね」
「そうそう、大丈夫。確かに一人の人間は今この瞬間死んでしまうかもしれない。けれど都合の良いことにそんなこと俺たちは忘れて過ごせている。これは実は凄い事なんじゃないかと思うんだ。確かに危機意識のないやつだって思われるかもしれないけど、そのおかげで俺たちは明日を夢見ることができる訳でしょ?今日より明日、明日より明後日。そうやって前を向く方法もある。そうやって成長するんだ。まぁそんなことをその日暮らしみたいなおじさんが言っても説得力ないか」
そう言って谷岡さんはまた豪快な笑い声をあげた。だけど確かにその通りだ。
『今日より明日』それで良いんだ。
「ありがとうございます。元気が出ました」
「いえいえ、こちらこそこんなおじさんの言葉で若者が前を向いてくれるなら嬉しいよ」
私たちはもう一度谷岡さんにお礼を言って大原楽器を後にした。帰り道二人で焼き芋を買って食べた。
「僕さ、今日の谷岡さんの話、すごく感銘を受けた」
私も感銘を受けた。
「『今日より明日』か、そうだよねそうやって僕たちは前を向くことを許されてるんだよね」
「うん、私も、まだ前を向いて進んでも良いんだよね」
「それは当たり前じゃないか。良いんだよ、今はしっかり休む時間なんだよ」
「そうだよね」
「北野さん」
「ん?」
葛西くんはこっちを向いて私の顔をじっと見ている。あれ?なんだろう。胸の高鳴り。
「僕さ」
「はい。」
覚悟を決めろ北野麻衣。
「谷岡さんの話聞いて思ったんだ」
「うん・・・」
「北野さんに話してた谷岡さんの話、歌詞に取り入れても良いいかな?」
「へ?」
「ごめん、なんか出来そうな気がして来たんだ」
「うん、それは良いけど・・・」
「ありがとう、じゃぁ、もう今言葉が溢れそうだから帰るね。また明日!」
そう言って葛西くんは走って帰ってしまった・・・なんだよ!ロマンチックな雰囲気だったじゃないか!唐突だったけど良い感じだったじゃないか!なんだよ!葛西!・・・でもまぁ焦らずに『今日より明日』だ。
私も夕暮れの中を焼き芋を食べながら家路についた。