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クラマラス 6話 (長編小説)

川の対岸に葛西くんがいる。私の音がどうか届いて欲しい。

 あの日、葛西くんが軽音楽部の部室から出て行って以来、葛西くんとは会ってはいない。
特に揉めたわけではないのだけれど・・・
あんな断り方を、一切の接近を許さないって顔をした彼の拒否反応を・・・
あの表情は私の今までの葛西くんへの関わりを一切合切否定していると思えて近づくことが出来なかった。
 
 でも今は向こう岸にいる、何故そこにいるのかはわからない。ギターを持っている意味もわからない。それでも彼は今そこにいるのだ。
 だから気づいて欲しい。
 私は思いっきりトランペット吹いた。葛西くんに届け!
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 「で、何してるの?」
葛西くんは私を発見してわざわざこちらまで来てくれた。
私は躊躇したが気になっていた事を素直に聞いてみることにした。
彼は答えることに躊躇しているようで眉を潜めて遠くを見ている。

「ギターを弾きに来た」
「そうなの?よく来るの?」
「いや、今日が初めてだけど・・・北野さんはどうしてここにいるの?」
葛西くんはこの時間に私がここにいるのが不思議だと言った。

「だって今日から中間試験のテスト発表期間でしょ。部活無いし、それに最近朝練に参加してたから、ここで吹けて無かったんだよね」
「あ、そうか中間テストか」
「『あ、そうか」じゃ無いよ!勉強してるの?」
「まぁ勉強はそこそこでいいんじゃない?」
「へぇ葛西くんって頭いいんだ」
「頭は良く無いよ」
私もトランペットばかりで赤点ギリギリの教科もある。
この男は謙遜してるのか?それとも本当のことなのか?

「いつも平均どれくらいの点数なの」
「うーん覚えがないんだよね」
「何それ?」
「ほんとどうでもいいと言うか、あ、決して満点だから興味ない訳ではなく、点数で測られるのってどうもね」
「なるほどね。・・・わからないけど何となくわかる」

「うーん、例えば、僕が好きでやってる事ってテストには出ないでしょ?北野さんは正式に部活動でトランペットやってるから、それが点数化されて次の大学進学にプラスになるんだろうけど、僕のは点数化されない。同じように好きなことをやっているのに評価されるのは点数化されたものだけ。それって何故なのかなって。まぁ本当にテストの点数は大したものではないから恥ずかしいんだけどね」

そう言って少し葛西くんは笑った。話はよくわかるがよくわからない。私には『好きなことをする方法は部活に入る』と言う事しかなかったから。

「葛西くんも軽音部に入ってバンドを組めばいいじゃん。そうすればその点数化って言うのもされるんじゃない?」
「嫌だよ、点数に変換して欲しくない。これは僕だ!」
「ごめん・・・」
「・・・こっちこそごめん、何かねバンドの事になるとダメみたい」

「どうしてそうなのか教えてくれない?」
勇気を振り絞った。
少し、沈黙があった。重たく、遅い時間が過ぎる。

「小学生の頃さ、低学年だったかな?授業でね僕は『これがいい。』って思って、『こう書きたい』って思った作文があったんだ。なんかさ、語尾が同じでさ、隣の行に語尾が重なっていくのが面白くて、今ではそれが『韻を踏む』って事だって知ってるんだけど、それがね大人には『間違えてる』とか『ふざけてる』って思われたようで『真面目にやりなさい』って言われて、同級生からは『変なの』って笑われた。それがすごくショックで、なんか恥ずかしくて、あぁ僕の表現する事は笑われるような事なんだなって自信がなくなって・・・だから、どんな人にでも当たり障りのないような、表面だけ繕って、本当に思っている事は話さないようにしてるんだ。それなら傷つく事はないし、笑われないし、他人からも変な目で見られないし」

「だからギターが弾けることクラスの誰も知らなかったし、軽音部に入ろうと思わなかったんだ」
「うん。ギターを弾けるなんて言うと『どんな曲弾くの』とか『アーティストは誰が好きなの』って聞かれるでしょ?それで相手の知らないような人を挙げたり曲を挙げたりしたらきっと変な空気になると思うんだよね、軽音部も一度見学をしに行ったけど、先輩たちが演奏していたのが、みんながよくやるような曲ばっかりで何か距離を感じてね」

「でもさ、それは葛西くんが周りから距離を取ってるからじゃないのかな?」
「・・・うんそうなんだよ。わかってる、わかってるんだ。わかってもらう事、理解しようとする事をしてないのは僕なんだ」

この人はそこまでわかっててこんな風に他人と距離を取ってしまうんだ。優しすぎるんだと思う。

「でも私とは距離が近いじゃない」
「それは君が近くに来るからでしょ」
「浦野くんや大原くんとも距離を詰められてるじゃん」
「彼らは、きっとこれから離れていくんじゃないかな?僕とバンドをしたら、きっと僕は熱中してしまうんだよ。そこに彼らとの熱量の差が生まれるんだ。『ついていけない』って思われてしまう」

「そんなのしてみなきゃわからないじゃん」
「してみた結果そうなったらどうなのよ」
「それは仕方のない事」
「でも、それで自分が傷付いたり、相手を傷つけたりするのは嫌だよ」
「わかるよ、わかるけど。今、君がしたいことをするべきなんじゃない?」

 葛西くんは黙ってしまった。葛西くん流に言えば私が近づきすぎて、葛西くんが距離を取ったんだろう。でも言うしか無かった。このわかんちんを説得するには。

「私ね、先週の部活でね、今年のコンクールをどうするか話し合ったんだ」
「出るか出ないかって事?」
「違う違う、吹奏楽部のコンクールって部門が『A』『B』『C』って別れてて、そのどの部門に挑むのかの話し合い」
「へぇ、コンクールってそうなんだ」
「そ。まぁ学校によっては部員が少ないこともあるしね、大人数と少人数と同じ土俵で競い合ったらフェアじゃないじゃん」
「なるほど」

「うちはね1年も入れて28人。だからA部門には出られる人数をクリアしてるんだよね」
「じゃあそれでいいんじゃない?」

「そう思うでしょ、でも実はA部門しか全国大会がないんだよね。やっぱり目指すからには全国大会じゃん?」
「うん、だから、人数がいるのならそれでいいのでは?」

「そこなんだよ。人数が足りていても、1年生も全員入れてだからね。確かに1年の中にも経験者はいる。でも初心者も同じくらいの割合でいる。そんなメンバーで全国大会を狙う部門に出てもいいものなのか?と思ってるんだよみんな。うちの高校、吹部はそこまで強くないから、『これまで通り少人数編成の部門で』って案が多いんだよ」

「確かに現実的だよね、そこに出られたら表彰はされるんでしょ」
「確かにそうだけど、せっかく人数がいて、練習もしっかりしてて、なんで目指せるのに目指さないのかなって思ったらどんどん込み上げてきて。『何でそんなに避けるの?せっかく練習してきたんだよ、私たちには出来るって何で思わないの!』って言っちゃったんだよね」
「そうかぁ」

「うん、纏まらないからテストが終わってからもう一度考えようってことになって、それで今日はモヤモヤしてたから勉強の気晴らしに来たの」

努めて明るく話したつもりだったのに葛西くんは真剣な表情になってしまった。
「同じなんだよね」
「え?」
「いやさ、僕もさっき担任と揉めてね、それこそ浦野くんや北野さんとのことで」

「そうだったんだ」
「わかってるんだよ。村井先生は僕が心を許せる人が現れることに尽力してくれているのを。村井先生は生徒の事を考えてくれる先生で僕はそんなところを尊敬してるんだ。なのに『それは偽善だよ』みたいに言っちゃって、浦野くんや大原くんのことだってそうなんだ。さっき北野さんが言っていたように『僕には出来るんだ』って信じられたらいいのにな」

「出来るよ」

「そんな口から出任せに言う?」
葛西くんはそう言って笑ったが、私は信じていた。

「出来るよ。葛西くんの優しさはきっといろんな人を助けるんだ」
葛西くんは驚いていた。自分が今言われたことを反芻しているのだろう。

「あ、ありがとう」
面と向かって言われると凄く恥ずかしい。

「あ、そうだ、せっかく、楽器があるんだから一緒に演奏しない?」
「え、即興でってこと?」
「そうそう、この間の3人で即興でやってたやつ私もやってみたいなって」
「じゃあ、何か知ってる曲吹いてよ、それに合わせるから」
「いいよ、じゃあ行くね」



 北野さんが吹き始めたのは『ハトと少年』だ。有名な曲。今日みたいな気持ちのいい五月晴れな夕方にはぴったりだ。映画の中では朝の風景だけど、意外とよく合う。

 北野さんの音は本当に清々しくて、聞いていれば体の中から爽やかにしてくれる。変な表現だけど体の中にミントタブレットを入れたような爽やかさ。

 北野さんは演奏をしながらこちらを伺う、ギターで入れってことだ。まだ聞いてはいたいが。



 葛西くんがいい顔になってくれた。彼は本当に音楽が好きなのだ。私の演奏が葛西くんに届いている。そうやって実感していた。葛西くんの目を見る。戸惑っていたが、ギターを構えてくれた。



 曲が一周回ったら僕も入ろう。そう決めた。寂しい音しか出ない僕のギターでこの音の中に入っていくのは正直怖い。この世界を壊してしまう可能性だってある。でもここまで来たら入るしかない。そう決めた。



 葛西くんのギターが響いた。重なり合う音。葛西くんの手探りの様子は少し可笑しかっけどやっぱり凄い。即興なのにこんなにぴったりとこの曲に合う演奏をしてくれる。いや、曲だけじゃない今の私の気持ちも理解して音を出してくれている。そんな気がする。私のリードを交代する。



 北野さんがこっちを見てきた。僕は頷いた。僕がソロをしろってことだ。そんな事はすぐに理解できた。これは音楽をやっている人には良くわかるものだろう。その場を音楽が支配すると、言葉なんてそんなもの関係なく気持ちが通じ合う。僕はこんな音楽が大好きだ。



 ギターソロ。私は邪魔にならないように伴奏に徹する。メインのメロディーに紛れる葛西くん流の解釈。それがこの曲をこれほどまでに夜に向かっていく音楽に変えてしまうなんて、私には想像もつかなかった。音楽は葛西くんのような繊細な人にこそ作られていくものなのだろう。『私は・・・?』でも一緒に演奏できるって言うのは凄く光栄なことだ。葛西くんの気持ちが伝わる。何に反省していて、何を決意して、私に何を伝えようとしているのか、伝わるのだ。音楽にはそんな力がある。私は音楽が大好きだ。



 曲が終わる



 曲が終わる。



「僕、やってみるよ」
弾んだ気持ちを言葉にしてみた。

「私もやってみる」
彼女がそう答えてくれた。

それだけで全てが解決したように思えた。春の夕暮れは気持ちいいほどに爽やかで、少し肌寒さを運んできた。

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