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クラマラス 15話 (長編小説)


 県大会の日、私達の地方は学校が少ない為そのまま県大会に進む。
 一つの地方の吹奏楽部が一同に介するのは壮観だ。
 今日までの練習の成果を発揮する時が来た。

 昨日葛西くんから来ていたメール。「明日、みんなで見に行くから頑張れ!」
 見ていてくれる人がいるのは心強い。他のみんなもそんな人がいるのだろうか。

 早朝に登校し最終練習。先生は気合が入っていて朝一番だということを忘れてしまうようなハードな練習だった。

 それからは楽器運びをする。3階にある音楽室から楽器を降ろし大きい楽器は用意してもらったトラックに積み込む。トランペット等の小さい楽器はバスで持っていく。会場まで約一時間、私たちは雑談をしながら一人また一人と眠りについていた。

 会場入りをして楽器を運び、控室に入る。もうここからはノンストップだ。午前の部、午後の部。私達の学校は午後の部の1番。午前中は参加校の演奏を聞く。この流れは去年と何も違う事が無いのに今年はこんなにも気力が違う。それはきっとみんなの意識の中に部長が言った事が頭をよぎっているのだろう。

 時間になり各学校の演奏が始まる。どの学校も表現が違っていて刺激になる。『私たちの演奏は全然ダメなんじゃないか』と不安に思ってしまう。山下が隣で弱々しい声で言った。
「私たちこの演奏に勝てるんですか?」

 私は咄嗟に言葉が出なかった。自信がなかった。それでも励ますようなことを言わないといけない。その時橋本が口を開いた。

「多分、向こうも同じ気持ちだよ。あの学校だって他の学校の演奏を聞いて不安なんだ。今の山下のように『私たちの練習してきたことはこれでよかったのか?』って。でもね、間違っていないよ。間違いなく私たちは努力してきた。練習を積んでそこで悩んで、そして努力して、克服して、励まし合って、この場所に座ってる。だから胸を張りな。私たちはどの学校よりも優れているって」

 私は心を打たれた。不安な気持ちが一切合切消えてなくなるような気がした。橋本が隣にいてくれて本当によかった。

「わかりました。ありがとうございます」
山下も気持ちが晴れたようで、いつもの自信に満ちた顔に戻っていた。私たちは大丈夫、この大会に参加したどの学校よりも優れているんだ!

 昼休憩になった。この昼休憩の後チューニングの時間があり5分のセッティングののちに演奏が始まる。食事を楽しむなんて余裕は誰にもなかった。



 今日は北野さんのコンクールの日だ。バンドのメンバー3人と新庄と来ていた。うちの学校は午後一番。
 午前中の演奏は全て終わった。どの学校もみんな素晴らしく、きっとたくさん練習してきたんだなと感じる演奏だった。北野さんたちも午前は聞いていたが近づくことが出来ないほどの緊張感があった。

 午後の部の始まりのアナウンスが流れる。これから準備を始めるそうだ。
 もうすぐうちの高校の演奏が始まる。
 見に来ているだけの僕まで緊張してきた。

「なんかこっちまで緊張してきたな」
隣に座っていた新庄が話しかけてきた。
「確かに緊張する。僕たち関係ないのに」
「いやいや、それは違うよ葛西。俺たちも応援してきたんだから」
「それはそうだけど・・・」
「だから俺たちも無関係ではないんだ。人は何かをしようとする時は必ず誰かと関わりがあるからね」
「・・・そうか、そう言うことか」
「そう、それに何かを表現しようとする人は誰かが見ていてくれているってわかると力は何倍も増えるだろ?」
「うん」

 僕には『うん』としか言えなかった。今まで『誰かに見てもらいたい』『誰かが見ていてくれている』って感じることは無かった。1人で良いと思っていたから。だけどもう僕はそこと違うところにいるんだ。

「俺もサッカーの試合を誰かに見られていたら力が出るよ」
「じゃ今度は新庄のサッカーを見に行くよ」
「いや、俺はもう終わったって。それに葛西が来てもなぁ・・・可愛い女の子がいいなぁ」
『何だこいつ』と思いながら
「確かに」
と返した。そんな雑談をしていたらブザーが鳴り舞台にみんなが入ってきた。

 拍手の後、一瞬の静寂の後に始まりの音。

まずは課題曲Ⅲ『虹の向こう』
 出だし一発目の全楽器の息を合わせて一音。そこから続くフルートやクラリネットのゆったりとした流れの音。

それは悠々と大空を飛ぶトンビのようだった。時にピッコロの3連符は鳴き声を連想とさせる。青くて高い大空をしっかりとイメージができる。

 その下には悠々と流れる川。さっきの新庄の話ではないが大空を飛ぶトンビも大地を滑っていく川の水の流れも誰かに見てもらう為の自然界の表現なのではないかと思ってしまうほどに美しい。

「ここに虹が見えるのか」とワクワクしながら次の音を待っていた。大原の寝息が聞こえる。『こんな大きな音が回っている空間でよく寝れるな』と忌々しくも逞しい彼を羨ましく見ていた。

 そんな風に聞いていたら曲調が大きく変わった。いきなりリズム楽器が入り、騒々しくなる。ティンパニーがクレッシェンドで追い討ちをかけてくる。

 金管楽器はマイナー調でテンポが速くなり、それはあたかも積乱雲が青空を覆い隠し暗くなった大地に次々と雨を降らせてくる様だ。

先ほどまで飛んでいたトンビはどうなったんだろう?・・・この大雨と雷にトンビは無事でいるのだろうか。雨は激しさを増し、川を氾濫させ根こそぎ水の中に誘っていく。

 自然の前では自然の中に生まれた者はなす術はなく流れに乗るしかない。濁流の中、身を縮めて待つしかない恐怖に僕は震え上がった。

 僕たちの前に自然が迫っている。普段は気にも留めない自然が一転、目の前にナイフを突き立てるのだ。この楽曲はそうしたことの表現をよく表していた。

 あたりが瞬間静まり返り、オーボエの音が響く。この災害を前にして落ち着いて事態に対処するものこそが掴み取る一瞬の余裕。呼吸を整え、あたりを見廻し、目の前にのみ意識を集中する。

 オーボエの雄大な音色の中に宿る固い意志。自然に生きる者は自然に対する心構えを知っている。オーボエのソロはきっと虹をかけるのだろう。

 最終楽章が始まった。北野さんが言っていたトランペットのソロがある楽章だ。先程の楽章と一転、また緩やかな音で始まる。しかしその中には初めのような悠々と横たわる大空はない。

 大雨による傷跡を克明に描きながら川は落ち着きを取り戻していく。トランペットの音がする。
 ソロだ。
 災害に心を痛め、泣きながら途方に暮れる。泣いて泣いて泣きはらした後にもう一本のトランペットの音色が合わさる。北野さんだ。

 人は一人では生きていけない。きっと万物がそうなのだろう。一人では生きていけない。お互いが支え合うことでそこに生まれる強い力。

 勘違いしてはいけない。
 誰かが助けてくれるであろう。
 そうではない。
 互いに助け合うんだ。
 驕り高ぶってはいけない。
 助けてくれるのが当たり前だと・・・

 僕たちは互いに手を取り合いお互いを支え合っていくんだ。それをはっきりと理解させ、自然はまた様々な恵みを与えるために動き出す。再び全楽器のアンサンブルが始まり物語は大団円を迎える。

 様々な生き物たちが活動を再開し、仲間たちとの再会を喜び、また歩みを始める。トンビはまた高く舞い上がり大空を飛んでいく。そこにかかっているのは虹、そう虹なのだ。僕たちは虹の始まりで生まれ、祝福をされ虹の向こうに飛んでいく。
 
 拍手をするのを忘れてしまうような演奏だった。引き込まれたこの世界観にどこからともなく聞こえる拍手の音で我に帰り急いで拍手をする。手が痛くなるほどの強い拍手を送った。

 人知れず涙が出ていた。ちょっとと恥ずかしいので拍手に紛れて涙を拭う。最高の演奏だった。間違いなく一番だと思う。音楽というのはここまで心を揺さぶってくる物だ。

「凄かったな」
新庄が声をかけてきた。
「ほんとに」
それしか言えなかった。
「音楽って凄いな」
「多分音の1つ1つに感情が乗っていたんだと思う。きっとみんな『聞いてる人に伝えたい!』って考えながら演奏したんだと思う。それが僕たちの心に響いたんだ」

「そうかぁ。俺もそんな誰かの感情を揺さぶることが出来たらいいな」
「出来るさ、僕も新庄もきっと」
「あぁ、ありがとう。さっき泣いてたことは誰にも言わないぜ」
「・・・いやいや、なんで言う?それも含めて言わないでいるのが優しさってことじゃない?」
「悪かった悪かった」
そう言いながら新庄は笑った。僕もつられて笑ってしまった。バンドのメンバーに目をやると僕と同じように聞き入ってしまってそれぞれ感慨にふけていた。



 頭がぼうっとする。私たちの演奏が終わった後は何も頭に入ってこなかった。自分の感覚が自分の体の中だけでなく外にも剥き出されたような。
 自分が空気の中に溶け込んで漂っていて人の形になってないようなそんな感覚。

 怖いのだけれどこのままならいいなと思う。

 結果は金賞だった。地方大会に進める。良かった。本当によかった。みんなが泣いている。それと同時に次に向けてはっきりと意識が向いて、明日からの練習をイメージしていた。 

「今日の感覚を忘れないようにしてこれからの練習に励みましょう。皆さん今日は本当によくやってくれました」
滝野先生が話をしている。みんなちゃんと聞いているようだったが私はまだふわふわしていた。隣の山下が向こうの方を指をさしながら話しかけてくる。

「北野先輩、あそこにいるの彼氏さんじゃないですか?」
この後輩は一体何を言っているのか?これは私の頭がふわふわしているが故の空耳なのか?

「山下、私に彼氏はいないよ」
「え?そうなんですか!」
「そうよ」

 山下は訝しい顔を向けていたが気にせず指差していた方向を見た。そこにいたのは葛西くんだった。私は葛西くんの顔を見た途端自分の意識が自分の体の中に戻っていくのを感じた。

「もう終わったんで行ってもいいんですよ」
山下が悪戯っぽく笑う。
「でも、10分したらバス出ますからね」
「うん、わかった」
私は葛西くんのもとに走った。早く今日の感想が聞きたい。葛西くんは今日の演奏をどう表現してくれるんだろう。

「葛西くん、今日はありがとう」
「うん、今日はたくさん音楽聴いて僕はすごく感動してる」
「うん、私も感動してる。あのさ・・・どうだった?」
「うん、凄かった。こんな言葉しか出てこないんだけど。なんかね僕たちは小さい存在で、だからこそ誰かと手を取り合っていくって事が大切なんだって思った・・・ごめん上手く今の感情を纏められないや」

「うん、いいよ大丈夫」
「ありがとう、ただ今日の結果におめでとうを言いたくて」
「ありがとう・・・ありがとう。私、取れたよ・・・取れた。金賞」
自分で『金賞』と口にしてようやく私は実感をした。涙が溢れてくる。
「取れたよ、金賞。嬉しくて死にそう!!」

そう、私は嬉しくて嬉しくて堪らない。私たちが頑張ってきた証なんだ、これが。やったんだ、私たちは。

「・・・葛西くん、ごめん、泣いちゃって」
「いや、全然大丈夫だよ。嬉しいね」
「うん。これからももっとたくさん練習して次の地方大会をいいものにする」
「うん、頑張れ」

そう言って、私はみんなの待っているバスに、葛西くんはみんなと駅に向かう為に別れの挨拶して帰宅した。

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