「砂時計の時間を大吉と暮らす...『犬は自転車』を読んで...」心に浮かんできた言葉(043)
こんにちは「てると大吉」です。
写真はこたつの横でウトウトしている大吉。とにかく暖かいところでまるくなってます。散歩では風に向かって走るのも好きなのですが・・・。
さて、『文藝』(2025春季号 河出書房新社)の特集は「犬を書く、犬と生きる」。 これは読むしかない!と取り寄せました。
*「犬は自転車」という岸政彦さんのエッセイ。「なに?自転車ってどういうこと」と読み始めましたが、タイトルの意味にたどり着く前に、次の言葉に僕の心はつかまれました。
大吉とベランダでひなたぼっこする時間。彼を膝に、彼の体温を感じて・・・。その時間を「時に切なく感じるわけ」が、すっと分かったように思います。
僕よりも寿命の短い大吉との時間の砂時計は、彼がここにきた四年前にひっくり返されたのですね。
「命には限りがある」こと、その尊さと儚(はかな)さ。知ってはいても無意識に忘れている、忘れようとしているのかも。
これまで何百回、何千回も聞いたこの言葉が、心の深いところに届くような・・・。「砂時計」はそんな比喩です。
そして著者は次のようにも。
「目があって決めました」と犬や猫との出会いが語られる。選んだのではなく出会っているのだ。出会った命の尊さとはかなさを感じながら、僕は大吉を育て、同時に大吉に育てられて暮らしているのだ。
著者とちくわ(雌犬)の出会いからのあれこれ。それは僕と大吉とのあれこれと重なり、不思議な共感のなかで読み進めました。
ところでなぜ犬は自転車なのか。
著者の特別な場所とは淀川。「ちくわ」は電動アシスト自転車の後部に設置された巨大なカゴにおとなしく乗って、淀川河川敷まで行く。そこで遊ぶ。自転車をこぐ著者の表情と、カゴにうれしそうに乗っている「ちくわ」を想像すると、僕も大吉と散歩に出かけたくなってしまいます。
大吉と出会って来月で四年。彼とともに生きる砂時計の砂は、今日もゆっくりと流れています。
読了し、時にこんな思索にふけるのもまたよしと目を閉じると、こたつの横から彼のかすかないびきが聞こえてきました。
今週も読んでいただきありがとうございます。
年明けから三月の年度末までは、歳月がスタートダッシュしているのでしょうか。もう一月最後の1週間です。どうぞ健やかにお過ごしください。
ー2025.1.26ー