「秋の空が奏でる音とは?...高村光太郎の祈りを想う...」心に浮かんできた言葉(031)
こんにちは「てると大吉」です。大吉との散歩、気持ちのよい秋の空を見あげます。ふと口をついて出たのは、どういうわけか「秋は喨喨と空に鳴り」という*高村光太郎の「秋の祈り」のフレーズでした。
「喨喨」が読めなかった遠い記憶。そして「リョーリョー」いう読みを知り、音の響きを素敵だなぁと思ったこともよみがえります。さっそく図書館でかなり厚い『高村光太郎全詩集』を借りてきて、少し変色した頁をめくり、「秋の祈り」の言葉を味わってみました。秋の澄みきった空が奏でる音とはどんな音なのだろう、そんなことを思いながら・・・。
「喨」は「ほがらか」。音声がさえわたり遠くに響きわたるさま。(新漢語林)とあります。その音は「童子」の「こころ」を持つ人にだけ聞こえるのでしょうか。そして「清浄の水 こころに流れ」とは、どんな心のさまを表現したものなのだろう・・・。紙面から聞こえる言葉の響きに耳をかたむけてみました。
もしかしたら、いつか詠んだ、我執を離れた状態に通じるのでしょうか。
「こころ眼をあけ」「童子となる」とは、自分のエゴなど意識しない子供の心のことかもしれない・・・。そんなことを想うとき、どこからともなく秋の渓流のせせらぎが、僕のこころに聞こえくるのでした。
そして*「秋の祈り」は次のように結ばれます。
冒頭部分と結びの間からは、高村光太郎が過去をふりかえり、人生を眺望し、自然界を見つめて、静かに自分と向き合うようすを感じます。「いのる言葉を知らず」ただ「いのる」という境地はどのようなものなのだろうと、澄みきった秋の一日、想いをめぐらせました。いつの日か僕も「内なる詩人」に会えるのではと思いながら・・・。
今週も読んでいただきありがとうございます。どうぞ穏やかな一週間となりますように。ー2024.10.14ー