日々の連続と帳尻合わせ【2024.02.08-15】
今日は、旅行記をまとめていたり、その後風邪をひいたりして書けていなかったり飛んでいた分の日記をまとめて帳尻を合わせます。
何から始めよう?
旅行期間中のつぶやきでもまとめて、つぶやき自体は消しておこう。
思いついたら書き足そう。
「雨だけど楽しいね」
とか「雨でも幸せ」
という時間を、そして人生を送りたいものです。
足が震えるほどに充実した時間だった。
灰色の曇り空が多くの時間を占めていたが、
青空と共に花蓮の美しい光景が顔を覗かせた時の高揚ときたらそれは素晴らしかった。
足の震えは正確には朝8時から夜9時まで一日中レンタルした自転車で走ったからかもしれない。
旅行記本編はまた後ほど。
今日は歩いたなぁと思ったら、ヘルスアプリは3万歩を示していた。(ここからもまだ何千かはプラスになるかなと)
家に着いたらゆっくり3万歩の旅行記をまとめたいなと思いながら今日の宿へと電車で揺られている。
5日間に渡り、歩きに歩いた旅にも、家のドアを開け、重たい荷物を下ろす時が来た。
でも旅は続く。それはそれは長い旅、人生という。
人生を旅に喩えるなんてありふれているなんて思ったりもするけれども、どこに行ったって良いし、その時の自分に委ねるという感覚をもっと大事にしたい気がする。
頭が痛いと思ったら熱があった。
まあ無理もないか。五日間のうち雨が降らなかった日は無いしその中ずっと外にいて歩いたり走ったり移動していたもんな。
のど飴、キウイを始めとするビタミンC、ポカリスエットとひたすら布団で温まり、眠ることで翌日には活動できるくらいにはなった。
今回はいいものの、孤立しないことは生命維持にとってもやはり有効なのだろう。ご検討を。
ソウルメイトみたいなのいいなぁ。
今日はもう1人のパートナーの人が仕事が出来すぎるいわゆる「しごでき」の人で、お客さんに関わる機会が少なくて済んだ。
そうやって思っている時点で致命的で、自分にサービス業は向いていないのかもしれない。それとも慣れるのでしょうか。最も致命的なのは自分で「自分は望んでいるか」という点が宙ぶらりんであることだ。
何のために旅行記書いているんだろう。
頑張って書いた割にあんまり見てもらえている気がしない。
まあ人に認めてもらうために書くなんてそんな脆い動機はよくない。
自分の旅を忘れないために書いているし、そもそも他人の旅行なんかより自分の足で行く旅行の方が楽しいんだからそれはそうだろう。
今日の朝、起きて、そのまま外に行って朝ご飯を買って、自然に囲まれた静かなキャンパスの中で、お昼までゆったり読書したのが快適でした。
村上龍曰はく村上春樹の魅力は「自我の揺れの最大公約数」という点。
自分を見ているような。誰も見ていなくて。受動的で。そして不安になる。
この動画凄く面白かった。
こういう意図を聞きながらとかすごく興味深い。
訪れてみたいと思いました。
冬休み限定のつもりで見つけたバイト先。
優しい人たちが多い。人も足りない時が多いらしいことや日本人で働いている人はいないことの珍しさからか「おいでよ」と歓迎してもらえるのはとても嬉しい。でも、今日がたくさん話して知ってもらえた(他人→そうでない)というその段階であるだけで、今後もそういう高揚があるかなんて微妙だしとも思う。
そういうのが良くない。
かくかくしかじか、異国の地の古着屋さんでワンオペ。
まあ古着屋さんだからそうだけれど、やっぱり緊張しました。
良かったのはお友達が運よくできたこと。
不安に思ったのは自分はやはり人との関りを避けているから、声掛けにも一歩勇気がいるのではないかということ。一回目なのでまだ判断は時期尚早と思われるが。
何より問題なのは、あと冬休みが三日しかないことだ。
もしもサポートを頂けたなら、それはさらなる経験に使い、僕の視点からその経験を文章にして共有させていただきます!