台湾の大学を休学します
「台湾の大学に通っている私ですが、この度、一年間の休学をします。」
今回は自身の中でも整理をすることを兼ねて、ここに休学の経緯やら理由やらを書いていきたいなと思っています。
少しお付き合い頂けたら嬉しいです。
まず私の状況を簡単に整理すると、2022年から台湾の大学に進学しており、2年間の大学生活を終え、3年生に進級するタイミングで今回休学を選択しました。
休学期間は2024年の9月から1年間で、2025年の9月に復学予定という感じです。
そもそもどうして私が台湾の大学に通っているのかということについては、過去に少し書いたことがあるのでご興味あればそちらも見てみて下さい。
余談ですが、今改めてこの文章を読んでみるとどこか恥ずかしさがありました。それは自身が成長したからなのか何なのか。
何かに取り憑かれているような自身が進む道への没頭感がある印象を受けるのは、今の自分からするとどこか羨ましさを感じる部分でもあります。
どうして私が休学を選択するに至ったか
話は戻って、ではどうして私が休学を選択するに至ったかという部分について。
実のところ私は休学という選択肢を台湾の大学に入学するタイミングから持っていました。
というのも、台湾の大学に進学するという選択肢は高校2年生のタイミングで決定したことであり、高校を卒業した3月から台湾に渡航する9月までの間に色々な環境に身を置き、様々な人に出会ったことでそれまで自身が知らなかった働き方や進路選択を知ることが出来たからです。その1つが休学です。
出会う先出会う先で「実は自分も休学中で」みたいな人が多くて、その時はなんとなく選択肢として、私もどこかのタイミングで休学するかもしれないなという予感はありました。
あとシンプルに「どうして大学に行くのか?」という問いが後々効いてきたということもあるかもしれません。
そんな私ですが、まずは台湾での大学生活をスタートさせました。
海外というそれまでの自分にとっては未知の環境に身を置き、毎日が新しいことだらけの大学生活を過ごしながら様々な機会に飛び込み、奮闘しました。
そして2年目の台湾での大学生活。
1年目と違うのは大学生活の勝手が何となくわかっているということ、台湾という環境にも慣れてきているということ。
そんな中で日台交流のイベント運営をしたり、日本人留学生の組織で活動したりしました。
このように1年生から色々なことに飛び込み続けて、なんとなく自身の中で得意不得意や心が向かう方向を感じ取ることが出来ました。
一方で、自身の力不足やどうしようもなさ、焦りを感じる場面もありました。
また、2年生は必修科目がかなり難しい時間でもありました。
「社会学理論」というカール・マルクス、マックス・ウェーバーに代表されるような社会学者たちの理論を学ぶ授業があったのですが、彼らの著書を中国語で読み、理解することは難しく多くの時間を費やしました。
加えて毎週異なる著書を読んでグループで2千字のレポートを提出する必要もあり、グループに迷惑をかけないようにしたい気持ちと全然読み進めることが出来ない焦りの衝突に心はかなり疲労しました。
そんな時間を過ごす中で、私の中で休学という選択肢がだんだんと育っていきました。
その時はひとまず夏休みになるのを待って、ゆっくり考えて決断しようという感じでした。
夏休みに入りゆっくり考えた結果、私は休学することにしました。
休学の理由
休学する理由を大きくまとめると以下の3つにまとめられます。
①しっかり時間を取って日本語で学びたい
②自身の将来についてゆっくり考える時間が欲しい
③心・精神面に向き合いたい
①しっかり時間を取って日本語で学びたい
やはり社会学という学問は難しい学問であり、それを中国語で完璧に学ぶということはなかなか難しいところがあると感じました。しかし、学期期間中は授業の予習や課題に追われて社会学について満足に日本語でゆっくり学ぶ時間を取れていませんでした。そのためこのまま三年生に進級したとしても深い学びは得られにくいのではと考えました。
そのため休学中に社会学についての本を沢山読み、きちんと基礎的な考え方を身につけることで、復学後の授業はより高い理解度で授業を理解し、そしてより自身で考え、探求したい問いを持ち能動的に参加するということができるようになっていたいと思っています。
また、大学での授業をより高いレベルで受けられるようになることを目指しているだけではありません。これからの時代に生きていくにあたって、そして社会を改善していきたいと感じている身としては社会学的な視点が大切であり大きな鍵になると考えているため、今回休学という時間をきちんと確保してしっかりと学びたいと思っています。学問的立場の挑戦みたいな側面も持つのでしょうか。
さらに、私にはわからないことだらけです。
政治のこともお金のことも、労働も、歴史も。
わからないことすらわかっていないことも沢山あります。
そんなものたちを学びたいのです。
②自身の将来についてゆっくり考える時間が欲しい
現在私は大学卒業後の進路について何をしたいかが明確ではありません。
そんな状況の中、日本では同じ学年の友達が「就活」に向けた準備をしていたり「就活」に関する話題が展開されていること、そして周りの留学生には将来に対してビジョンを描いている人も多いため、それを見て私は自分の進路について焦りや不安を抱えています。
でもただ社会的に成功とされているからといってそれを選ぶと自分の場合はいつか苦しくなる予感がしていますし、流れで就活をするということは私にとって好ましくない選択です。
そうではなく自身の理想・尽力したいこと・周りには流されない自分の中で大切にしたいことに則って選択をしていきたいと思っています。
ここには自身の才能や使命・天命のようなものも絡んでくると思います。
このようなもの見つけるためにも、休学をすることでゆっくり考える時間を確保し、様々な角度から模索していきたいと考えています。
③心・精神面に向き合いたい
私はかなり自己否定的な性格であるため、非母語の言語を用いて学習するという出来ないことの方が多い環境下ではかなり自分を苦しめてしまい、先ほど難しかったと述べた2年時は精神的にかなり不安定な状態となってしまいました。
加えて私は他人からの評価を気にしすぎてしまうため、前学期は成績としては客観的に見ても良いものを得ることが出来ましたが、そこに嬉しさなどは無く、あるのは安堵感や自分がすり減った感覚でした。
また、そのような苦しい状況でも私はうまく苦しみを吐き出すことを出来ずに抱えながら前学期を過ごしました。
正直、疲れてしまった。楽しいってなんだっけと時々わからなくなる。
こうやって都合の悪い感情を今後も抑え続けることにも限界が見えてきたような気がしました。
そんな自分の心を回復させ感情をその感情として感じられるようになり、自分を苦しめてしまう思考パターンを自身が生きやすくなるような思考方法に変化させたいという思いがあります。
その原因が過去にあるとすれば過去を今一度振り返り、きちんと表裏面を受け止めて今が軽くなるように手放す。自分に価値があると思えるようになる。生きることをそんなに疑わなくなる。
同時にそんな自分だから表せるものや心の安寧を模索したい。
おわりに
以上がざっくりとした休学までの経緯と理由です。
結局、来るべきしてきたタイミングだという感じですね。
このまま前ならえに進んでいってしまっていいのだろうか?
一度足を止めてゆっくり考えたい。
とある方の言葉で印象に残っている言葉を借りると、この休学はF1のピットインであるのです。また走り出すための過程に過ぎない。
自分の見方さえ上手く持てたら幸せになれるのかもしれない、そうでありつつも「こんな世の中」と思ってしまえる世界で幸せを感じるのが上手くなって正しい怒りを忘れてしまいがちになるのが怖い。
社会という波に飲み込まれてしまうのではないか。
このように不安なんていくらでも挙げられるでしょう。
でもそんなときに支えてくれるのは、自分が自分であるということだと思います。
そのために、そして後々振り返った時に、「この時間があって良かった」と思えるような時間にしたいなと思っています。
まずは、休学中何したいかとかを気楽に書こうかな~
少々長かったかもしれませんが、最後まで読んで頂いた方、ありがとうございました!
またね
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