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新興宗教3世として生きてきました

おおっぴらに言うべきことではないと考えてずっと伏せていたが、最近この問題が予想外の形で世間を騒がせているのを見て、カミングアウトしてみようと思う。

僕は「新興宗教3世」として生きてきた(厳密には「3世」という表現で表して良いのかよくわからない宙ぶらりんの立場ですが、これについては後ほど言及します)。

その団体とは「キリストの幕屋」。よほどの宗教マニアでもない限り、この名前にピンとくる方はほとんどいないと思う。

・「キリストの幕屋」とは?

念のため言っておくと、幕屋は、反社会的行為や過激な教義を持ついわゆる「カルト」ではない。これを読んでいる方が仮に幕屋の信者と関わる機会があったとしても彼らは基本的に無害なのでご安心を。

ただし、ユダヤ教(イスラエル)との強い結びつきや日本の伝統宗教を重んじる姿勢、過度に保守的な政治主張などの要素からキリスト教主流派からは異端視されたりもする。

万が一入信したとしても大した危険はないけれど、まあ、多くの新宗教と同じく、興味本位で近寄ることはお薦めしない。

・幕屋との出会い

元々父方の祖父母が幕屋の信者だったが、両親が信仰とは無縁だったため、小学校時代までは全く触れてこなかった(冒頭で自分を「3世」と称することに違和感を抱いたのはこのため)。近所に「エホバの証人」の会館があったため、そこに通っているのだと思い込んでいたくらい。
ところが中学に入ってしばらくした頃、突然祖母からの誘い。

「バル・ミツバ行かない?」

ユダヤ教の成人儀礼に独自の解釈を交えた幕屋中高生の大会。
全国の中高生が聖地・熊本に集まった。
周りは皆祖父母・両親とともに幼少期から信仰を学んでいる子どもたち。実際はどうであれ、信仰初心者の僕には彼らが随分先を行っているように見えて大きなショックに。
ここが、幕屋信者として信仰にのめり込んでいく起点となった。

・違和感

中高時代の僕は、随分熱心な信者だったと思う。
しかし、大学に入って一人暮らしを始めてから、状況は随分変わった。
大学の授業やアルバイト、その他諸々細々とした些事に追われる生活になっていく中で、信仰が僕にとって大きな精神的負担だということに気づいたのだ。
この後、次第に幕屋から足が遠のいていくと、幕屋の矛盾点にも目が行くようになっていく。
「聖書の神を「唯一の神」と呼びながら他宗教の思想を重視するのは許されるのか?」とか「偏った政治思想を信者に強要するのは宗教のあり方としていかがなものか?」等々。

信仰を離れたことについては、大学をやめて実家に戻った後、祖母と随分揉めたが、今は渋々ながらこの姿勢を理解してくれている。

・最後に

何だか、幕屋に対して随分批判的な文章になってしまったが、幕屋であれ他のいかなる宗教であれ、それを安易に「カルト」「邪教」呼ばわりして攻撃することはしたくない。あくまで自分には合わなかったというだけ。
どんな宗教でもそうだが、自ら悩み求めて信仰に足を踏み入れた1世と、何もわからないうちにその中にいた2、3世とでは根本的な事情が全く違う。ここが2世問題の難しいところなのだとも思う。

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