自分が現実だと思っているものの全てが幻影。それが真実。という話
皆さん、こんにちは。キバシゲルです。
今回は聖典「黎明」の重要なテーマの一つである、「この世の全ては幻影である」というテーマについて語ってみたいと思います。
基本的に、僕も含めてすべての人が、自分の目の前にある様々な物や人、世界、それら全てが現実であり、実際にそこに存在していると認識しているし、それが本物だと信じていると思います。
しかし。実は、それらは自分の五感から得た情報を元に、脳や心が作り出した幻を見ているだけであり、本来の世界とは違ったものを見て、それが本物(現実)だと思い込んでいる。それがこの世の真実、ということらしいです。ちょっと信じられないかと思いますが。
これは遥か昔から色々な宗教の中でも言われている、この世界の真理そのものであり、この勘違いから抜け出して本当の世界を認識できるようになった状態が、いわゆる悟りの境地というものだと言われています。
なんか宗教臭い話だな、と敬遠される方もいるかもしれませんが、実はこれと同じことをドクター苫米地氏が科学的な見地から御自身の様々な著作の中で語っておられます。(注:次の引用文はドクター苫米地氏の認定コーチの方の本からの引用になりますが、基本的にドクター苫米地氏の教えや考え方を受け継いでいると思うので引用させていただきました)
ドクター苫米地氏は脳科学や認知科学からの視点でこの現象について解説しておられますが、個人的に面白いなと思うのは、その現象や原理を願望の達成などの現世利益的な使い方をしているという点ですね。(まぁそういう方向で行った方が世間的には受けがいいから、というのもあるのかもしれませんが)
さて。認知科学では、脳と心が作り出した仮想現実、内部表現が、我々が現実だと認識しているものである、と定義しています。
さらに実は、この内部表現という仮想現実において、僕達が「自分」だと思っているもの、いわゆる自我というものですが、それさえもこの幻想の一部に過ぎない。自我など存在しない、という衝撃的な話も出てきます。
自分などいない、存在しない、などと言われるとショックを受けたり混乱するかと思いますが(僕も最初はかなり戸惑いました)、これについて黎明では、
「物質世界の地球(3次元の地球)では、ほぼ全員が、自分と他人、世界が別々に分離して存在しているという誤った認識(分離意識)を持っている」
と表現しており、この分離意識から抜け出して、自分自身が宇宙そのものであり、創造者であったことを識ること。それが意識の覚醒、悟りであり、普遍意識の目覚めである、と語っています。
黎明によると、物質世界の地球は特殊な構造になっていて、この世界に肉体を持って生まれた者は、自分と他人が別々の存在であるという分離意識を持つようになります。
また、この状態は他の星系では体験できない特殊な状況であるため、魂の修行にとっては都合が良い環境なのだそうです。
そして地球に生まれた僕達の真の目的とは、様々な体験を通して魂を成長させ、最終的に普遍意識に目覚めることにある、と黎明には書かれています。
で。ここまで書いてきた僕自身はというと、普遍意識にまだ目覚めてない、ただの凡人そのものだったりします(笑)
「どうやら自分が現実だと思ってるものは、実は幻みたいなものらしい」ということを知識としては知っていますが、それが実感を伴って理解できてはいない、という感じですね。
まあ、いつかそれが理解できる時がくる、のかな?とか思いつつ。
凡人なりに頑張って生きていこうかな、と思っております。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。