生徒の「心情」が分からない国語教師
場面緘黙症を克服できないまま中学に進学した私は、喋らないことを理由に、クラスメートの男子生徒二人からいじめを受けた。腕をつねられたり、筆入れを取られたりしたが、担任の男性教師の介入以降は、いじめられることはなくなり、そのまま2年に進級した。
だが、新学期早々、絶望することになった。
私をいじめてきた二人のうちの一人とまた同じクラスになったのだ。いくらひと学年に3クラスしかなかったとはいえ、学校側の配慮のなさと認識の甘さに絶望した。それに、小学生のときから、喋らない私を否定せず仲よくしてくれた友達とは、一人も同じクラスになれなかった。中1の担任との面談で、友達として名前を挙げていたにもかかわらず、無視される形となった。
そして新たに担任になったは、その年に他校から赴任してきた女だった。担当教科は国語で、眼鏡をかけた小柄なクソババアだった。
一人で食べる方がマシ
すぐに、こいつは駄目だと思う出来事があった。
新学期2日目から弁当持参となり、午後まで委員会決めなどの学級活動や行事が組まれていたのだが、そのババアは昼食前に、席の近い人と机をくっつけて班を作って弁当を食べるように指示してきた。その理由を、「一人で食べる生徒を見るのがつらいから」だと言い放ったのだ。
本当に何も分かっていないババアだった。
クラスに友達がいなければ、当然一人で弁当を食べる生徒が出てくる。友達と呼べる生徒がいなかった私は、そうなっていただろう。
だが、それでよかったのだ。そんな情けをかけられるくらいなら、一人で食べた方が気楽だった。何より「一人で弁当を食べる」ことになる生徒がいることを、わざわざ口に出して、クラス全員にそのことを意識させる無神経さに腹が立ったのだ。場面緘黙によって口から言葉を発することはないが、頭の中では饒舌で毒舌だった。
見るのがつらいだと? だったら見に来るな。お前の「つらさ」を和らげるために、何で俺が喋りもしない相手と机をくっつけて弁当を食べなければならないのか。余計なことをするな。お前マジで死ねよ。
当時13歳の私は、この無神経なクソババアに、声にならない声をぶつけていた。
寡黙ですらない
だが、国語の教師として、授業では筆者や登場人物の心情を教える立場であるにもかかわらず、そのババアは、生徒の心情を少しも理解できていなかった。
あるとき、教科書の文章に「寡黙」という熟語が出てきた。その意味を説明するのに、わざわざ私や大人しい女子生徒の名前を具体例として出したのだ。
私は、教師の方を見ずに、じっとうつむいていた。
国語のテストなら、ここに傍線を引き、【なぜ「私」はうつむいたのか。このときの「私」の心情を説明せよ】という問題が作れる。
答えはこうだ。
【学校で喋ることができないことに苦しみながら、それでも毎日我慢して登校していた中で、普段から声を発していないことを、授業中にクラスメートに意識させた担任の国語教師の無神経さに虫唾が走るとともに、そんな注目のされ方を決して望んでいないことを、その教師に気づいてほしいとアピールしている。】
アピールも虚しく、そのバカに願いが届くことはなかった。
今にして思えば、学校では授業以外で一言も喋らなかったのだから、寡黙ですらない。緘黙だ。当時は、緘黙という言葉すらなかったから、私は先生以外とは喋らない「変な奴」だった。
我慢して我慢して1年間をやり過ごした3学期の終わり。そのバカは、通知表の担任コメント欄の最後に「来年度は交友関係を広げてみましょう」と書いた。通知表は、親も読むものだ。親には知られたくないことを、わざわざ通知表に残されてしまった。
最後まで何も分かっていないクソババアだった。
25年以上の時を経て尚、そのバカに言いたい。お前から学んだことは、何一つないと。