統合失調症になってからこれまでを淡々と振り返る


はじめに

統合失調症になって6年と半年が経つ。
一度ここまでの闘病生活を淡々と振り返ってみようと思う。

発症〜一回目の入院

私が発症したのは、31歳のある日のことだった。
発狂し、助けに来た両親に精神病院へ運ばれ四肢拘束を受けた。
正気に戻った時の素直な感想はこれで少し仕事を休むことができ、ホッとしたことだった。
仕事量がさほど多かったわけではない。だが、難易度が高い仕事を任されることが多かった。だから休みの日も仕事のことを常に考え続け私は疲弊していた。
そこから抜け出し、私は安心した。周囲も私に配慮してくれるだろうという思いもあった。
入院中は辛かった。精神病院に入院しているという状況は常にお前は頭がおかしいと言われ続けている気がした。
思い出したくもない。
この時の病名は双極症だった。

退院〜二回目の入院

退院してから、一生懸命、双極症を勉強した。
どのようにコントロールできれば、復職できるのかばかりを考えていた。
オランザピンのせいで朝が辛く午前中は横になって過ごした。
診察のたびに復職を確認し、「まだ早いです。」と言われ続けた。
自分の精神そのものに問題がある気がして、精神そのものを治そうとした。
自己肯定感という言葉に出会った。
自己肯定感を上げるために両親に自分を認めてもらおうとした。
今までの人生を喋り続けて自分で自分に興奮し、気がつけば入院していた。

二回目の退院〜復職

二回目の入院は慣れた分一回目よりマシだった。
それでも辛かったので思い出したくない。
退院すると医者から
「復職したければリワークに通ってください」
と言われた。
リワークに通った。カリキュラムは簡単なものだったのでただこなしていた。
リワークに1年ほど通い、復職許可が出たので復職した。
復職すると案の定、会社は最大限の配慮をしてくれた。
社内でも有名な緩いチームに配属された。
そこで淡々と仕事をこなした。
時々不安になりながら。
数ヶ月仕事をこなすと、おそらく社内でGOサインが出たのだろう。
難易度の高い仕事を任された。
私は強い不安に襲われた。
逃げ出したくなった。
おかしくなるのが怖かった。
だから逃げ出した。
私は再び休職した。

休職〜三回目の入院

私はここに来て初めて絶望した。
あのレベルの仕事が怖くて出来なくなっていることに。
仕事を辞めた自分のイメージが湧かなかった。
今まで社会のレールを歩めば幸せと信じてきた
だから社会のレールをまっすぐ歩いてきた。
それが出来なくなった時のことなど考えてもみなかった。
人に迷惑をかけることが怖かった。
負け組になることが怖かった。
周囲から嘲笑われるのが怖かった。

毎日ルーティンで過ごした。
飯を食い、漫画を読み、飯を食った。
それでも休職の期限が近づいてくる。
再び、私は発狂した

四回目の入院〜復職

三回目の入院から先生が変わった。
その先生はすぐに退院させてくれた。
今までの先生はひどく冷たかったが、新しい先生は優しかった。
これがチャンスだと思い、主治医の変更を願い出た。
幸いにも受け入れてもらい、先生が変わった。
退院したが状況は何も変わっていない。
私は再び発狂し、四回目の入院をした。
四回目の入院で病名が変わった。
統合失調症になった。
納得していた。
私に鬱はなかった。
四回目の入院では色んな人と話をした。
入院中も時々おかしくなりながらもなんとか退院した。
休職の期限は迫っていた。
私はチャレンジせずに終わると一生後悔すると思い、復職することにした。

退職〜現在

復職後も変わらず会社は配慮してくれた。
会社は難しい仕事を渡すタイミングが早すぎたと考えているようだった。
色んな人から謝られた。
だが私は問題の原因が違うことを理解していた。
まずはぬるま湯。
周囲の誰もが頑張らなくていいと言ってくれる状況。
そこに抗えるほど私のメンタルは強くなかった。
私は燃え尽きてしまっていた。
そして、何年も休職している間に周囲は皆、出世していた。
出世したかったわけではないが失った時間を見せつけられる気がした。
そして何をしても不安だった。
それでも私は必死に耐えたが1年が限界だった。
風呂場で叫ぶ私を両親は不安がっていた。
最後に主治医に号泣しながら退職の診断書を書いてもらった。
退職すると私は急に幸せになった。
肩の荷がすぅっと降りていった。
幸せの形が見えるようになった。
今まで縋っていたものが大したものではなかったことがよく理解できた。

最後に

私は自由な時間にこそ幸せが詰まっていることがよくわかった。
仕事が幸せという人がいるかもしれない。
私は自分もそのタイプだと思ってきた。
いや信じ込ませてきた。
でも私は違った。
自由な時間に幸せを感じるタイプだということがよくわかった。
ただ自由に物事を考えるだけで私は幸せな人だった。
毎日、散歩するだけで楽しい。
何か思いのままをnoteに綴るだけで楽しい。
なぜか?
それはこれまで勉強に、部活に、仕事に、闘病生活に一生懸命頑張ってきたからだと思っている。
私は自分の仕上がり具合に満足している。
あれだけ頑張ってこれなら仕方ないと思っている。
だから毎日幸せに過ごせている。
人間、頑張らずして幸せになることはできないと思う。
だが、人間は皆頑張って生きていると思う。
だから、自分の頑張った部分に目を向けて生きていてほしいと思う。

P.S.
話はとぶが、どうしても自分の頑張りを認められないという人は筋トレするといいと思う。頑張りが形となって現れるから。

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