統合失調症になってみて 雑感
統合失調症になって最初に感じたことはこれで社会のレールから外れられると言うことだった。
私は幼い頃から社会のレール(いい大学→いい会社→出世→結婚)を走らなければいけないという強迫観念のようなものがあった。
そして社会のレールを走れる実力もあった。
だが病気になってそのレールを外れられるという解放感があった。
私にとって病気は救いだった。
だから私は病気になって絶望したことはない。
もちろん両親を中心とした家族に迷惑をかけていることへの罪悪感はある。
がそれ以上に解放感が大きい。
これからは私の好きなように生きていいのだと言う感覚だ。
病気で失ったものもある。易疲労性はあるからフルタイムでの労働は厳しい。
でもうまくいくようになったものも多い。
家族関係がうまくいき始めている。
人生楽しくなってきている。
私は病気になる前、自らで自らを縛っていた。
人間はこうあらねばならぬと決めつけていた。
才のあるものは努力し社会に貢献せねばならぬと決めつけていた。
違うかった。
社会はもっと自由だった。
自分の好きなように生きていけばいいのだった。
そして、私は死ぬのが怖くない。
死にたいと言うわけではない。
私はこれまでの人生必死で頑張ってきた。
だからこれまでの人生に悔いはない。
加えて結構な貯金もある。
今は人生のエクストラステージに入ったと思っている。
これまで頑張ってきた人生でいろんなハイライトがあった。
それらを味わうことが私は楽しみなのだ。
絶望感があるわけではない。
これからももしかしたらハイライトがあるかもしれない。
そのハイライトに向けて少しずつできる範囲で努力するのが楽しみなのだ。
人は統合失調症になるなんてなんて可哀想にと言う。
だが、私は統合失調症になって幸せになった。
理解のある家族に恵まれているのは大きい。
とりあえず、何はなくとも今後生きていける目処が立っていることは大きい。
それはこれまで自分が努力してきたからだ。
「こいつは頑張ってきたやつ」
とみんなが思ってくれるからだ。
人間本質的なものは変わらない。
努力してきた人間は病気になっても努力できる人だし、
努力していない人間は病気になっても努力できない人だ。
だから統合失調症になって絶望感を持ち、全てに投げやりになっている人に問いたい。
「あなたは努力してきましたか」
と。
努力もせずに幸運もなしに幸せにはなれない。
幸運がないのであれば幸せになるための努力をしてみよう。
ただ、社会のレールを走ることだけが幸せではない。
違う形の幸せを探してみよう。
幸せなんてなんでもいいんだ。
「布団にくるまってTik Tokを見るのが幸せ」
「文章書いて反応見るのが幸せ」
「ヴィッセル神戸の試合見るのが幸せ」
統合失調症になって大きな幸せは手に入らないことは覚悟している。
具体的にいうと結婚は諦めた。
でもそうすると解放的になる。
ためていた貯金にグッと余裕ができる。
そして今、私はそれらを病気のせいにできる
病気で結婚できないと言える。本当はモテないだけなのに 笑
今、私は無敵の人となった。
失うものがないと言う意味ではない。
人生のエクストラステージに入ったからだ。
私はしっかり努力して人生をしっかり楽しんだ。
こっから先はお遊びだ。
本気でお遊びすればいい。
さあ今日は何して遊ぼうか?