
無言バーバー(ハゲ専用)
(散髪に行かねば!)と思う度に月曜日の呪いが誰かにかけられたらしくしばらく家でモミアゲのみカットしていたが、眉毛がボーボーになったので今日散髪屋に行った。
私には散髪屋の先輩がおり二千円でフルサービスしてくれるのだが毎回だと悪い気がして
今日は(入った事無い所に行く)というヤツで行こうと近所をうろついた。
私の住むところは意外に散髪屋は多く対面に店があったりとコンビニの如くの激戦区だった。
値段をカットのみ二千円にしてたりするところは組合に加入していないだろう、それも生き残り戦略なのだ。

そして私は昭和むき出しのヤバい散髪屋を見つけた。

おもむろに扉を開けるとやけに眉毛の整ったいかりや長介の様なおじいちゃんが石油ストーブに当たりながらマラソンを観ていた。
介護士のスキルの1つ広い視野を発動させ千歳飴の様なハンガーにコートを掛けた。

その間およそ2秒、いかりやは無言だった。
もちろん客はいない、だがやたらに喋る散髪屋よりはいいかも知れない。
それにハゲでいる。いかりやのハゲは中々のレベルだった。

(ハゲならハゲの気持ちわかるだろう)と私は安堵した。店内も昭和丸出しで小学生の時に前髪をパッツンパッツンにされて半泣きで帰った思い出がシャンプーの香りとともに蘇った。
実際いかりやは頭頂部にはほぼハサミを入れなかったし無言だった。
女性にはわからないだろうが昭和の散髪屋は独特の香りがする、それらは記憶のスイッチとなり幼き頃を思いださせ、そしてハゲた今を鏡は如実に現すのだ。
上げて落とす。
そうして自身をかえりみる事で人は優しくなれるのかもしれません。
いかりやの技術は高く、蒸しタオルの置き方やエプロンのかけ方など50年くらいやってる動きだった。
急激な温度の変化にびっくりしないような心遣いがあらゆる所に感じられた。半面、かけられてるこの液体大丈夫なのか?と思える程に50年放ったらかしの道具や内装、ショーケースの中身は思わず「これなんすか?」と聞きたくなった程だ。
最終、謎のオーデコロン的なものを揉みこまれいかりやは喋った。「終わりました」
いや、ボケろよ!普通かっ!と心でツッコんだがさっぱりした。
寝ていたのでわからなかったがスンゴい七三分けにされていた。
コレがいかりやの最適解なんだろうと金を払いながら家路についた。
51のオッサンが韓国芸能人の様に前髪を作るのは恥ずかしい事でオッサンはデコを出すべきなのだ!とのいかりやの矜持を見せられた様で若作りをする事は若さにもう負けているとの感覚を頭で無く心でわかった日でした。
お肌のスキンケアとかはしますよ、整地されたハゲを目指して頑張ります。