こめつぶ(障害者就労支援×ライター×カウンセラー)です#自己紹介
初めまして!「こめつぶ」と申します。
普段は障害のある方の支援(主に就労に関すること)に携わっている精神保健福祉士です。様々なご縁に恵まれて、20年近く福祉のお仕事をさせていただきました。そんな私がこれまで取り組んできたこと、その時感じたこと、そして現在についてまとめました。
プロフィール
こめつぶ
神奈川県在住 1981年3月生まれ
【日常】人と接する仕事、疲れたらコーヒーでひと息
【趣味】猫動画、アニメ、ミステリー系ドラマ、美味しいものを食べる
【好きなこと】海辺さんぽ、旅行、花火、博物館&美術館、ヨガ など
【苦手なこと】数学、地図、電車の乗り換え、料理
福祉・メンタルヘルスの資格
高校3年生の時、福祉や心理を学ぼうと大学に進学しました。 その時は「これから高齢化社会になるから、職業に困らないかも」くらいの気持ちで踏み出したのですが、進学先で精神科病院のケースワーカーをしていた先生の授業を受けて初めて、メンタルヘルスの歴史を知りました。
大学卒業と同時に精神保健福祉士の資格を取得。そこから、自分の人生の歴史と共に、就労分野サービス管理責任者、メンタルヘルスマネジメント検定Ⅱ種、EAPメンタルヘルスカウンセラーの資格を取得し、今に至ります。
カウンセラーとしては「研修生」の立場ですので、研鑽の日々です!
経歴
1.精神障害者地域作業所
一番最初の職場は、当時「精神障害者地域作業所」と呼ばれていた社会参加のための活動場所。卒業してすぐに飛び込んだ、憧れの精神保健福祉の現場でした。でも当時は、一体何をすればいいの?という混乱と迷いの連続。
ゆっくり教えてもらえる時間も人手もなく、研修に行くこともなく、全部OJT(仕事をやりながら覚える)でした。
パンやクッキーを作って販売して、毎日一緒に昼食をとり、時には、レクリエーションで旅行に行くこともあり、楽しいのですが…。なんだか遊んでいるみたいに思えてしまう。支援って何をすることなのか分からず、自分は役に立っていない…と思い悩む、そんな日々でした。
2.精神科病院 認知症病棟
次の職場は精神科の入院設備がある病院でした。
担当は認知症慢性期病棟。ケースワーカーの業務は法律に則った書類の作成や提出が主体でした。
私の担当する病棟は長期入院の患者様が殆どだったので、入退院の手続きがない時間は病棟や医局に行って、疾患のことを教わりました。
病棟担当の看護師長、作業療法士、病棟担当医の皆さんに沢山学ばせていただき、感謝は尽きません。悩みや苦しみを抱えている人達と向き合っていくことについて、皆さん真剣に取り組んでおられたことが印象に残っています。
「人生の最期に、少しでも望むことを提供したいのだ」という看護師長は、言葉を話すことができなくなった患者様であっても、ご家族の話や小さなヒントから「望むこと」を知ろうと取り組んでいらっしゃいました。
支援するためにはまず、望みを知ること。これが必要なんだと感じた、貴重な時間だったと思っています。
3.就労継続支援B型
私生活の変化があり病院を辞めた私が入職したのは、「就労継続支援B型」という、福祉的就労の場でした。福祉的就労とは、体力的・心理的に負荷が少なく済むように、本人の障害特性に配慮された環境下で働くことです。
このとき就労支援の事業所で働き始めたことが、私の「現在」につながっていると思うと…転機だったのかも知れません。
私は自分自身が「働くことが好き」というタイプの人間で、母親になっても老婆になっても働いていたい!と思い続けています。そういう背景があるので自然と仕事に一生懸命になったり、学んだりしようと思うのですが…
全員がそうではない。
一人ひとり、自分なりの価値観のなかで選択をしています。最初はそれに気が付かず、独りよがりだったこともありました。
遅まきながら、働くことについて様々な価値観と選択肢があることを理解し始めたのは、この頃でした。
特に障害がある方にとっては、価値観×選択×制度×家庭環境×経済状況…といった風に、様々な要因が絡まり合っています。
ここでようやく「ああ、これは難しい仕事だ、パン作ってるだけじゃないよな」と痛感。ここまで来るのに、30歳になってしまいました(苦笑)
4.就労移行支援
34歳の時、一般企業への就労支援に携わりたい!そしてサービス管理責任者になりたい!との思いが湧き、思い切って就労移行支援事業所を運営する株式会社に転職しました。
一般企業の経験がないことがコンプレックスでもあったので、この転職、私にとっては大冒険でした。30代前半で名刺交換もままならない(やったことがない!)状態で本当に苦労しましたが、支援員として3年間務めてサービス管理責任者の資格を取得。4年目から管理者・サービス管理責任者を兼任させてもらうことができました。
就労移行支援とは、2年の期限内に一般就労を目指すことを目的として、利用者さんの訓練や学習をサポートする福祉サービス事業所です。
サービスを利用できる期間が明確に定められているため、必要な支援を素早く見極め、障害特性に配慮した訓練内容を提案する必要があります。さらには、会社側の考えを支援に組み込むことも必須です。企業目線で求められることを常に念頭に置く必要があり、それは、福祉畑にいた私には経験のないことでした。
これまでの、安定してストレスなく過ごしてもらうための支援から、働くための支援にチューニングするのは大変でした。時には厳しいことを言わないといけないですし、伝え方も難しい。
でも、庇護的な支援は先につながりません。福祉に携わる人間が庇護的になり、依存を形成してしまったら、それこそ自立の妨げになります。それを思えば、この時の経験は非常に貴重で、今の私の礎となっています。
5.リワーク(復職)支援
横浜市に就労移行支援事業所が増え、ついに90事業所になろうかという頃、リワーク支援が注目され始めたことをきっかけに転職しました。
サービス管理責任者の仕事内容はほぼ同じですが、会社に在籍している方の復帰支援をするということで、より一層、企業との連携が増えました。
また、利用者さんが事業所の利用に至るまでの経緯はずいぶん異なります。様々な事情や人生の背景に寄り添うには、やはり勉強は欠かせませんでした。
メンタル不調の回復期はまず休息を取るのですが、その間は活動量がグッと減り、どうしても体力が落ちてしまいます。これはやむを得ないことなのですが、利用者さんが「休息をとって元気になったと思ったのに、自分はまだダメなんだ」とショックを受けてしまうことは少なくありません。
職場復帰までは、根気と時間が必要です。でも、一人では抱えるのがしんど過ぎる。そんな時、スタッフが伴走者となって支えになるのが、リワーク支援の仕事です。
また、元の会社に戻るだけでなく、支援の途中で転職することを決意される方もいらっしゃいます。その時は一から「これから希望する働き方」について一緒に検討していくこともありました。「この方にとって、今が重大な転換期なんだ」と思い、とても緊張したのを思い出します。
6.メンタルクリニック
リワーク支援の会社は勉強にはなりましたが…
残業時間があまりにも多く、体力的に限界を感じ、残念でしたが1年ほどで退職して医療機関に転職しました(涙)
ずっと地域福祉に携わっていたので、入院設備のある病院ではなくクリニックで何かできないか?と思っていたのですが…ちょうどその頃、診療報酬に「療養生活継続支援加算」というものが新設されました。そのための精神保健福祉士を雇用したいというクリニックを紹介され、これはやってみたい!地域を知っている私なら即戦力になれる!と思い、入職を決めました。
ゼロから作り上げ、ひと月60〜70件の面談をこなしました。忙しかったですが、担当の患者さんの中には元気になって終診になる方、通所先を見つけて回復が進んでいった方もいて、とてもやり甲斐がありました。
ですが、一方では、受診の決断ができなかったり、頑張りすぎてしまったりする方も多くお見かけしました。もう少し早めに受診していれば、ここまで症状が重たくならなかったのでは?と思わずにはいられません。その時に気が付いたこと。それは、
福祉や医療は不調になってから訪れる場所で、私は、ただ待っているだけだった。ということでした。
これからは、待っているだけではなく予防することも必要。いや、そうしなければ、失わなくて済むものを失ってしまう人が増えてしまう。
やるべきことが見えたような気がして、まずは「EAP(従業員支援プログラム)メンタルヘルスカウンセラー」の資格を取得(現在は研修生として修行中ですが、カウンセリングをすることは可能な立場になっています)。個人事業として事務所を持たない相談室「はないちげ」を作ろうと決めました。
現在
相談室「はないちげ」
2024年1月から相談室「はないちげ」の活動をスタートし、精神保健福祉士のソーシャルワーク相談を開始しました。障害福祉サービスの利用や就職活動、生活の困りごとなどの相談をお受けしています。就労継続支援B型のサービス管理責任者をしながらなので、まだ週に一度の活動ですが…これからはEAPメンタルヘルスカウンセラーとしての活動や、福祉に関してお役に立てそうな情報発信をしていきたいと考えています。
まだまだ、やりたいことを形にするのはスキル不足ですが…
誰かの元に支援を届けられるよう、これからも努力していきたいと思います。
どうぞ、宜しくお願いいたします!^^
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