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尾瀬燧ヶ岳と亡き友

TVをつけたら「バスサンド3時間sp」が放送されてる。
群馬・尾瀬だ。
15年以上前、高校からの友達Mと尾瀬へ行った。
Mは20歳位の頃山小屋でバイトをしていた。
尾瀬も歩いた事があると言う事で、案内してもらう事にした。
上野駅から各駅の電車で夜出発。
朝早くにバスに乗り換える。
はっきり覚えていないが鳩待峠だったのかもしれない。
ニッコウキスゲにはまだ少し早く、霧雨が少しだけ降っていた。
私は登山靴を履いていたが、Mはスニーカーだったので尾瀬で長靴をレンタルした。
木道を楽しく歩いた。
夕方帰りのバスにギリギリ間に合った。
バスの椅子に座っていたMが「あーっ❗️靴❗️靴❗️」と慌てだした。
Mはレンタルした長靴を履いたまま。
「出発しそうになったら、もうひとりいますと言っといて」と長靴を返しに走った。
その時の黄色い長靴は忘れられない。
50歳そこそこで病気でMは亡くなった。
Mとはあちこち散策に出かけたが、黄色い長靴は特に印象的だ。

そして、燧ヶ岳におばさん2人で登った時の事。
新潟の山に行く予定が天気が悪く、燧ヶ岳に変えた。
前日長蔵小屋に泊まり、朝早くに登り始めた。
頂上には昼前に着き、ゆっくりした後下山。
「道迷い注意」の看板が見えた。
連れがどんどん下って行くが、何だかあやしい感じ。
嫌な予感は的中し、沢に出て道はない。
途中テントの残骸やコンビニの袋等が散らばっていた。
これは戻るべし。ただ道が無い。無我夢中でよじ登る。
笛を吹いても何の手応えも無い。
連れは体力があってどんどん登って行く。
暮れ始める時間。
私の脳裏に浮かぶのは
(子供達には新潟の山に登ると言ってきた。連絡が取れず尾瀬にいるとは知らない。)
(まだ熊が出る時期。日が落ちたら何も見えない。)
ひとり取り残されたら、どうしたら良いか冷静に考えようとするけれど恐怖が勝る。
その内「道が見つかった❗️」と連れが叫んだ。
転落しないように頑張ってよじ登った。
山を降りる頃は薄暗くなり始めていた。
ニュースに出る事にはならずにすんだが、怖すぎて1週間は夜うなされた。
簡単そうな山程危ない。
連れは私が所属していた山岳会の会員の友人で、一度谷川岳に一緒に行ったが、二度目誘われて行ったのが燧ヶ岳で一緒に登るのは最後の山になった。
山に登る時は信頼関係がしっかり築けている人と登る事です。


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