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セント・ローレンスカレッジでの嬉しい出来事と残念な出来事


    イギリスではよく、「良い知らせと悪い知らせがある」という出だしで話を始める人がいる。セント・ローレンスカレッジで起こったことは、まさにそんな感じの出来事だった。
      まず、良い知らせの方から言うと、セント・ローレンスカレッジからクリスマスパーティーに招待されたことだった。日本から来た、どこの誰ともわからないような男(友人に書いてもらったレファレンスはあったが)を学園の一員として認め、そのような一大イベントに招いてくれたことに、僕は非常に感謝した。学校行事なので実際のクリスマスより少し先だって12月20日に予定されていた。当日の午後6時半に、僕は日本で同僚だった大西貴史から餞別でもらった紺色の着物を身にまとい、雪駄を履き、ローバーで学園のエントランスに乗りつけ、招待カードに示された大ホールに向かった。大ホールに入ると、日本の学校体育館の2倍はある程の広さと、天井高もかなりあるその壮大さに圧倒された。まさにハリー・ポッターのホグワーツ魔法魔術学校のグレートホールのようだった。両壁には歴史を感じさせる絵画がその映画と同じようにいくつも飾られていた。長テーブルが4列あり、それがホールの一番奥まで突き抜けるようにそれぞれ連なっていた。

      その長テーブルに小学生から高校生の男女が臙脂色の制服を着て、頭には紙で作ったゴールドの王冠を皆被っていた。僕はビジターとしては最後の方だったので、自分の席に向かって歩いていると、すでに着席していた生徒達は和服を着た日本人が珍しいらしく、注目の視線が矢のように押し寄せてくる雰囲気を肌で感じた。一般の教員席は一番奥の左側だったので、わりとすぐに教員らしい年配の人達がいるテーブルを見つけて、僕の名前が貼ってある座席に座った。座ると、目の前には紙製のゴールドの王冠が置いてあったので、他の教員同様に僕も被ってみた。被ってみるとなんとなく一体感を感じた。周りには優しそうな男女の先生達が座っていて、僕が席に着くと正面にいた年配の女性教員が話しかけてきた。

「ハロー、私はエマといいます。あなたは日本の空手の先生なんですね?」

「はじめまして、僕はナオト・イシガミです。日本の空手インストラクターです」

「着物が素敵ですね、日本ではこういう特別な場合に着物を着るんですか?」

「そうですね、お正月に着ることが多いと思います。でも日本では最近、そういう時でも着物を着る人は少なくなっているんです」

 そんな話を少し交わしているうちに、ターナー校長の挨拶があって、その後みんなで乾杯したが、教員も生徒と同じオレンジジュースだった。料理も生徒と同じなのでとても豪華とは言えなかったが、それでもちょっとした美味しいフルコースだった。1時間半くらいで閉式の辞がターナー校長から述べられ、僕は他の教員達に挨拶をして会場を後にしようとして出口の所に差し掛かった。その時、小学生の部で教えていた少年たち数人が僕を見つけて、

「ナオトだ!」と言って駆け寄ってきた。その中に小学生の部では一番やんちゃなトミーという体の大きな子が元気に手を振ってやってきた。やはり小学生は可愛い。

「着物だね!かっこいい!」と言ってくれた。

「サンキュー!ディナー美味しかったね!また火曜日に会おう!メリークリスマス!」と僕はトミー達に笑顔で言った。

「メリークリスマス、ナオト!」とトミーを中心とした小学生の教え子達が手を振ってくれた。

それから僕は、めったに体験することのできない楽しいひと時を過ごせた余韻に浸りながらローバーに乗り込み、セント・ローレンスカレッジを後にした。

      次は悪い知らせ(残念な出来事)である。その後もセント・ローレンスカレッジに通い、順調に空手を教えていた。ある日いつものように少し早めに学園に来て車から出た時に、放課後のアクティビティを管理している、トビーという30歳くらいで短髪のブラウンヘアーの若い男性教員が僕の所にやって来た。僕らはお互い軽く挨拶した。

「ミスター・イシガミ、もしかしたら空手アクティビティの中学の部は今後開講できなくなるかもしれないんだ」と神妙な顔でトビーは言った。

「実は、空手を続けたいっていう中等部の生徒数が少なくなっているんだ」と続けて言った。

     僕はちょっとショックだったが、思い当たることがあった。小学生の部とは違い、中等部の生徒達は生意気な感じの生徒も数人おり、僕としてはある程度、僕自身の強さも示す必要があると判断し、やや強めにスパーリングしてしまったことが原因だったのかもしれない。実際、こんなことがあった。

 1週間前の稽古で、その時は生徒同士だけでスパーリングさせていた。その中に、黒人の生徒で身長は僕より少し大きい175センチくらいで、体重が80キロはありそうなマシューという少年がいた。彼は稽古中にちょっとふざけたり、マシューの方が僕よりも強いというような素振りを見せたりしたこともあった。要するに僕は中学生になめられていたのだった。僕としては、たとえ相手が中学生だとしてもこれは見過ごせない、名誉に拘わる、と判断した。そしてマシューに稽古が終わったら特別稽古でスパーリングやらないかと誘ってみた。

    マシューは不思議そうな顔をしながらも快諾し、他の生徒が帰った後に一人残っていた。他のやんちゃな生徒たち数人は残って見てみたいようなことを言っていたが帰るよう促した。もしかしたら小ホールを出た後、どこかで覗こうとしているのかもしれないと思ったが、それでもいいと思った。僕はみんなが小ホールから出て行ったのを確かめてから、

「マシュー、じゃあスパーリングやる前にこの脛サポーターつけて」と指示を出した。

僕は彼にもう一つ準備してあった脛サポーターを渡した。彼らはまだ、サポーターを購入する前だった。そして、マシューが準備できたようだったので、

「じゃあやろうか! 押忍!」と僕は言って、マシューも「押忍!」と言ってスパーリングは始まった。僕はマシューが向かってくるところを受け流して技を繰り出そうと考えていたが、マシューは緊張していたようですぐには向かって来なかった。   

   僕も相手はほぼ素人の中学生とはいえ、体格は僕より大きかったので少し慎重になっていた。それから少し対峙した後に、マシューから左の前蹴りが放たれた。僕は構えていた左腕で円を描くようにして捌いてその脚を地面に落とし、今度はその脚を僕は右の下段蹴りでマシューの左足から両足を掬い上げる様にして蹴り上げた。下段足払いである。マシューのその大きな図体は一瞬宙を舞うかのようにして、背中から板の間にたたきつけられた。

「セイヤー!」と気合を入れ、僕は即座に倒れているマシューの顔面に正拳突きを寸止めで入れた。マシューは唖然として上半身だけ起き上がったがかなり驚いたような顔つきだった。

「よし、やめ!」と言って僕は手を差し伸べてマシューを立たせ、

「押忍、ありがとうございました」とお互い礼をして、それで終わりにした。

マシューのさっきまでの生意気な態度はすっかり消え失せていて、従順な少年の顔つきをしていた。

「じゃ、また来週、マシュー!」と僕が言うと、

「また来週、先生!」ときちんとした挨拶をしてくれた。この時、マシュ―は「先生」を「サー」と表現していた。さすがイギリスなんだな、とこの時思った。日本人

「サー」と聞くと、軍隊で上官に対して「イエス、サー」と言う時や、「公爵」という意味合いで使う時だけではないかという先入観があるが、実際は「先生」に対しても使うということがわかった。

     いずれにしても、この時のちょっとした指導でマシューを含めた数人の生徒達が、痛みを伴う稽古は好まないという意向をアクティビティ担当教員のトビーに示したのではないかと推測した。実際は、その後も中等部のクラスはいつものように行うことが出来た。しかし、新年が明けてしばらくすると中等部のクラスはスケジュールから消えていた。小学生の部だけ残ったというのも寂しい気がした。人に教える難しさをこの時は再認識させられた。


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