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帰国に至る


  結局、僕は審査に立ち会ったにもかかわらず、全く収入を得ることが出来なかった。ジョージへの不信感が募る中、その翌日には妻の由美に帰国せざるを得ない状況を説明した。もちろん、申し訳ない気持ちをしっかりと伝えた上で。

     その日の夜、僕は今後のことを一人で沈思黙考した。そして出た結論は、一旦帰国するが、もう1度だけビザを申請してみて、それでもだめなら潔く諦めるつもりだった。申請方法はいくつかのカテゴリーから申請することができた。例えば、スポーツインストラクター部門、会社設立部門、あるいはイギリスでの正社員として雇われた場合の申請部門など。しかし、いずれも厳しい条件が付いていた。スポーツインストラクター部門なら、その道のエキスパートで正社員として雇用される場合とか、会社設立ならば銀行口座に2千万円は有していることなどであった。さらにそれを証明する資格証明書類等も必要だった。 

    僕はその条件をすべてクリアしていなかったが、最初の申請は普通の労働ビザ部門で、ジョージの道場経営に携わるという内容で申請した。2回目はセント・ローレンスカレッジの職員という名目で申請した。3回目は最後の望みでスポーツインストラクター部門から申請してみることにした。

      いずれにしても、もう2月の下旬を迎えていて、ビザ申請中の滞在延長可能期間も終了になるので、帰国準備を急ぐことにした。とはいえ、アパートにあるベッドなどの備品はそのままにして、ビザが下りたらいつでも再び住めるようにしておきたかった。近くに住む大家にはそのことを伝え、家賃は日本から電信振込みをする約束をしておいた。家賃は日本円で約8万円だった。僕は日本に帰国した際にすぐにでも職を得る必要があった。計画としては、できるだけ早めに帰国し、高校の英語科教員としてまた勤務することだった。しかし、時期的には非常勤講師の職しかないだろうと想定しながらも、その職の求人も限りがあるので少し焦りを感じていた。

      審査会から5日経ち、日本への航空券を手配するなどして、ある程度帰国の準備ができたところでジョージに電話をかけた。ジョージはとても残念がっていたが、僕は彼への不信感のような、もやもやした心情から解放されずにいたので、彼と別れることに関しては心が晴れる部分があったとしても、悲しい気分には到底なれなかった。彼は各道場で、僕のビザ発行に向けての署名活動をしてくれていたと言ったが、その親切心も僕の彼への不信感を払拭し、心を癒す程には至らなかった。

       道場の生徒達には、僕の父親が癌になり、一旦帰国せざるを得なくなったことを伝えるつもりだった。もう2度と会えなくなるかもしれない、ということはどうしても言いたくはなかった。それは僕の夢を100パーセント断念することを認めてしまうようなことだし、第一、悲しい気分にはなりたくなかった。道場生徒の前でそれを言っていたら、きっと泣いてしまうに違いなかった。

       そして、いよいよサンドイッチ道場での最後の指導の日になった。道場での稽古が終わり、いつものように黙想をして終わりの挨拶をする前に、僕は父親の病気のためにしばらくはイギリスに戻って来られないということをみんなに伝えた。すると、終わりの挨拶をした後に、ジョージの道場生でもあるタイラーという名の、180センチくらいある男子高校生が僕の所に駆け寄って来た。そして彼は、中国製のようなお守りを僕に手渡ししてくれた。

「センセイナオト、早く帰ってきて下さい。お父さんお大事に!」と真剣な顔をして言ってくれた。そのお守りは、金色の金具に赤い紐がついていて、その金具の中央には幸せの「幸」という漢字が刻まれていた。どうやらジョージから前もってその情報を知らされていたようだった。

 僕はそんなタイラーがとても愛おしく思え、一瞬涙腺が緩くなりかけたが何とか我慢して、

「タイラーありがとう! またすぐに帰って来るからちゃんと稽古して待っていてくれよ」と僕は何とかタイラーを見ながら言って、固い握手を両手で交わした。

      タイラーとは以前、ジョージの道場で初めて会った。高校生にしては巨漢で、背も高く、体重も80キロは軽く越えており、3級だったがフォークストン道場では1番か2番目に強かった。ジャックと組手をやってもジャックが押し出されるくらいの馬力があった。また、道場生の中には映画の悪役で登場してくるような鋭い目をした「仕事引受人(必殺仕事人)」を名乗るリックという名の30歳くらいの男がいた。とはいえ、彼が本当にそういう仕事をしていたのかどうかは証拠もないので定かではなかったが、自称「仕事引受人」だと僕には名乗っていた。そのリックはそんなに大柄ではなく、まだ白帯だったが筋肉隆々で、他流派では有段者であり、道場では強者の中の1人だった。しかし、タイラーには全く敵わず、さすがの「仕事人」もスパーリングでタイラーからのみぞおちへのパンチでノックアウトされている状態だった。

  僕も最初にタイラーと組手をすることになった時、その強さゆえに慎重に組手を行う必要があった。タイラーは馬力を生かして、左右のワンツーパンチから左右の下段回し蹴りを放ちながら突進してきた。僕はそれを捌きながら、左上段回し蹴りをタイラーの右こめかみに入れたのだった。タイラーは一瞬よろめき愕然としていたが、すぐに僕に対して参りましたというような笑顔を浮かべていたのだった。タイラーはそれ以来、すっかり僕のことを崇拝してくれるようになっていた。彼はハイスから同じ道場生の母親と一緒に、バイクでサンドイッチ道場までよく来てくれていた。

タイラーとの挨拶が終わると、他の道場生からも

「気を付けて帰国してね!」

「センセイ、早く戻ってきて下さい!」

「センセイナオト、お父さんによろしく伝えてください。センセイが帰って来るのを待っていますよ!」という温かくて、心の籠った言葉をたくさんもらって、僕はもう我慢できないくらいに涙が溢れそうだった。でも、絶対に再びこの道場に戻って来られると信じて我慢した。

   僕はウインドミル道場でも挨拶をしたかったのだが、そうと決まったら早く帰国しようと航空チケットをすでに購入しており、次のウインドミル道場の指導日前に英国を発たなければならなかった。仕方ないので、ジョージと世話になったジェニーに、僕の代わりにウインドミル道場の生徒に事情を説明してくれないかと頼んでおいた。2人は快く引き受けてくれたのだった。

   翌日には英国を発たなければならなかったので、すぐに出られるよう事前に準備しておいた。大枚をはたいて購入したベッドやソファは帰って来られるのを信じてそのままにしておいた。しかしそれらのお気に入りの家具を見ることは2度となかったのだった。翌日の朝8時にタクシーを予約して、取り敢えずの大事な荷物類はスーツケースに入れ、最寄りの駅まで行ってもらうことにしていた。タクシーは日本のタクシーのように時間通りに到着し、近くのマーゲート駅まで送ってくれた。

運転手がやけに気さくな中年男性で、

「今日は寒いね、風邪に気をつけてね」と言ってくれたことは、僕らの帰国への不安感を少しだけ緩和させてくれた。こういうところはイギリスの気風なのだなぁ、と思った。僕らはその後、何とか電車とバスを乗り継ぎ、ようやく午後になってヒースロー空港に到着した。最後のバスの運転手も長距離バスということもあってか、

「出発前には拍手してくれないと頑張れないよ」と、いかにも欧米人が言いそうな冗談を言っていたが、乗客もそれに合わせて拍手喝采でバスは出発したのだった。もちろん、僕達もその雰囲気に押されながらも拍手に加わった。

 ヒースロー空港にやっとの思いで到着でき、搭乗時間が近づいてきたので、僕らは搭乗者用ゲートで荷物チェックを受け、各旅客機の待合いゾーンに行こうとした。そして入場ゲートの係員にパスポートを示すと、突然係員に呼び止められた。

「あなたのビザは旅行ビザで有効期限を過ぎていますよ。ここでお待ち下さい」と中年の小柄な女性に言われてしまった。

僕は搭乗時間に焦っていたので、

「すいません、僕はこの期間にビザの申請をしていたので延長滞在できると思いますが」と言った。

しかしその係員の女性の表情は穏やかではなく、

「調べてくるのでこのまま待っていて下さいよ」と、少し苛立ったような強い口調で言って、僕のパスポートを持って行ってしまった。

10分くらい待たされてからその女性は戻って来て、僕のパスポートを返し、

「行っていいですよ」とぞんざいに言った。その際も失礼しましたなどの言葉は一切なかったので僕は何か言ってやりたかったが、先を急いでいたので結局は我慢することにした。

(~続く)


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