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氷柱割り演武

  脛(すね)を鍛える

  千葉の道場では毎年演武会が催され、氷柱割りの演武はそれまで先輩の古参指導員が任されていましたが、いよいよ私の所にお鉢が回ってきたのでした。氷柱割りは私のあこがれの演武で、極真空手でも花形と言われる演武で前からやってみたいと思っていました。
  演武までは1か月を割っていましたが、英国へ発つためのいろいろな準備と並行してその準備も推し進めなくてはなりませんでした。(この時点でイギリスで空手道場を開設するために教頭に退職願いを出していました)
  そのために、まずは砂袋で脛(すね)を鍛える必要があリました。近所の喫茶店からコーヒー豆の入っていたズタ袋をもらい、その中に砂を詰めて、無印良品で買った2段式洋服ハンガーラックの低い位置のバーの所にそれを吊るして、そこに両足の脛を毎日コツンコツンと何回も軽く当てていくことで、脛が鍛られていきました。
  しかし、実際に脛で氷を割って、脛の骨は折れないものかという不安はいくら脛を鍛えてもなかなか拭えないでいました。そんな不安感から、僕はさらにバーベルスクワットも欠かさずに行いました。僕は体重が72キロでしたが、その時は200キロまで挙げていました。足のパワーが向上すれば、氷柱も折れやすくなるだろうという判断からでした。

いよいよ演武!

  それから約一か月があっという間に経ち、演武の日がやってきました。私の演武は最後の方になっていました。演武は少年部から始まり、一般部の下段回し蹴りによるバット折りなどが行われていました。
  そしていよいよ私の番になり、緊張感はmaxでしたが、司会者から紹介されて、「押忍!」と大きな声で答えて自分を鼓舞しました。観客の見守る中、演武が行われている舞台の中心位置まで進み、正面を向いて一礼し、開始の合図を待ちました。後輩たちが軍手をはめ、氷柱を運んできて積み重ね、正面には氷柱が4段組み合わされ、左右には氷柱が1本ずつ縦に立てられました。正面の氷柱は手刀で、左右の氷柱は脛による下段回し蹴りで割ることになっていました。
  そして、すぐに準備は終わり、師範から開始の合図があリました。私は少し瞑想をして、絶対にうまくいく、と自分に言い聞かすと瞑想をやめ、左自然体というファイティングポーズの構えをして、
「セイリャー!」と大きな声で気合を入れました。すると、師範や他の黒帯からも
「行け!そりゃー!」と大きな声で気合が入リました。
  私はまず左側の氷柱を右の下段回し蹴りで粉砕すると、ボルテージが一気に増し、左の下段回し蹴りで今度は右側の氷柱を粉砕しました。その際には勢い余って持ち手の後輩にぶつかりそうになるくらいでした。二本の氷柱を蹴りで割った後、私は体中にさらにパワーが漲ってくるのを感じました。そして最後に正面に向き直し、さらに大きな声で
「ウリャー!」と気合いを入れ、
これで割れなかったらイギリスになんか行けるものか!と、心の中で瞬時に思い、
  それこそ全身全霊で氷柱を手刀で割リました。手刀でも僕の勢いの方が勝り、氷柱4本は粉々という形容がふさわしいほどに粉砕されました。
次の瞬間、「オー!」という観客からの歓声が上がり、僕は割った後、これでやるべきことはやった、これでイギリスに行ける!と思いました。
 とにかくうまくいった、成功したんだ!という実感がようやく沸々と湧き上がって来て、僕は安堵感に包まれていました。
  私は帰りの車中でも運転しながら、目の前の大仕事を片付けた達成感に浸っていました。

 次回は「イギリスで英国人空手家と一騎打ち」
をお話したいと思います

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