日本での就職活動
それからはしばらく、僕は英語の非常勤講師という形で私立の高校で教えることになった。帰国して早々、正職員である専任教諭という職を得るのは容易なことではなかった。それから数年は年齢的なことや、英検準1級やTOEICなどの資格も持っていなかった為、専任教諭の就職口をなかなか得られなかった。帰国してもしばらくの間は経済的に厳しい状況が続いていた。帰国するための航空チケットもカード払いで決済したので借金として残っていた。そんな中、久しぶりに旧友と再会し飲むことになったが、その際にその友人から、
「月に20万円の収入ってことは、年収240万円か。僕がそうだったら、うちの奥さんは気が狂っちゃうね」と何気なくその友人は言った。言われたことは事実ではあるが、僕は帰国後これほど劣等感に苛まれたことはなかったくらいのショックを受けた。
だがそれから数か月後、努力の甲斐もあって英検が準1級、TOEICも900点近く取得し、採用試験の筆記試験にも呼ばれるようになった。しかし、二次面接試験では年齢のことなどもあってかなかなか決まらなかった。僕は私立高校にこだわりがあった。なぜなら、公立高校は自由で、校則が緩く、生活指導が大変だというイメージがあったからだ。そういう理由で、僕は私立高校の非正規職員である非常勤講師や臨時採用教員としてそれからの数年間、私立高校で勤務していたのだった。しかし、近年、公立高校も少子化や私立学校の学費受給制度が浸透し、生徒数確保のため生徒指導にも力を入れ、制服を導入する学校が増えてきた。また、進学などに力を入れるような学校も増えているようだった。
僕はそういう状況を鑑みて、公立高校教員採用試験の受験を考えるようになっていた。その後、東京都の試験を受けたが、うまくいかず、臨時教員で一年間、都立高校で勤務することになった。僕はその一年間を通して、都立高校は今や私立とそれほど変わらないしっかりした教育環境になっており、教員も伸び伸びと活動できる雰囲気もあって魅力的だと思うようになっていた。
そういう理由で、翌年もう一度受験してみることを僕は決意した。この時は、採用試験受験で今までで一番闘志が漲っており、受験のための通信講座を受けたり、英会話学校へ行ったりなどして、できることはすべてした。そして、二次試験の最後の実技試験になり、英語での面接試験に挑むことになった。その試験会場に呼ばれて入ってみると、若いブロンドで綺麗な女性のネイティブスピーカーが面接官だった。僕は緊張していたが、彼女からの質問には答えられた。でも、その女性試験官のリアクションがとても冷たく、頷かれたりすることもなく、また、一切微笑んでもらえなかった。そういうこともあり、終わってからの帰路では失望感で一杯になっていた。もっとああいうふうに答えれば良かった、そんな言葉が頭の中を駆け巡っていた。帰りには近くのショッピングモールでショッピングを楽しもうかと、受験前には思っていたが、絶望感で一杯で全くその気は失せていた。それから合格発表までの1か月間は落ちるような夢ばかり見た。何をしていてもこの期間はそれが頭をよぎった。
そしてついに発表当日になった。でも僕はあえてインターネット上の発表を見なかった。次の日にはいずれにしても郵便物が届くのだ。合否どちらにしても。発表の翌日、勤務からの帰り道は怖くてどうしようもなかった。帰りは若い同僚2人と3人で帰ることになった。その一人は専任教諭で、もう一人は僕と同じ臨時採用だった。彼はすでに私立高校の専任教諭に合格していたのだった。その電車内でその臨時採用の同僚がスマホを見ながら、
「今日は友達が教員採用試験落ちたから、これから励ましに行くんだ」と言った。僕は悪夢がよぎりドキッとしたが、彼らの前では平静さを保った。僕の結果もすでにホームページ上に掲載されているのだった。
じたばたしても仕方ないのだ。駄目なときは美味しいものを食べて気を紛らわそうと思っていたので、自宅近くのスーパーマーケットで普段は買わないようないい値段のするビーフジャーキーを買ってから自宅団地の郵便受けに足を運んだ。外から郵便受けを見ても、一目で大きめの封筒がすでに入っているのがわかった。僕は思いっきり、それを郵便受けから取り出し、凄い勢いで破って開けてみた。一番上の白い紙には結果を知らせる文言があったが、合否の文字が掲載されているものではなかった。しかし、今までの不合格書類のものとはちょっと違った感じがした。
僕は興奮していたため、よく理解できていなかったが、落ち着いてよく見てみると、「名簿登載者」とあった。でも臨時教員ということもあるし、冷静になってそれをよくよく見ながら、郵便受け前にあった木製のベンチに腰かけてじっくり確認することにした。他にも重要書類のようなものが中に沢山入っていた。どうやら本当に合格したのだということがようやく認識できた。すると、思わず号泣している自分がいた。人生で号泣の意味を初めて知ったくらいのものだった。帰国してからの苦労や最終面接を受けてからの1か月間の心労を思い出してさらに号泣した。5分くらいして人が来たので、さすがにベンチを立ち、帰宅することにした。
本当なら、走って由美の所に駆け寄り、大喜びを分かち合うというのが普通のパターンかもしれない。でも、合格がわかるまでかなり自分を抑えつけて、不合格の場合でも耐えられる心の準備をしてきたせいか、大喜びしてはしゃげない自分に気が付いた。帰宅してゆっくり玄関から廊下をつたい、キッチンに行ってみると、由美が夕食の準備をしていた。
「ただいま」と静かに言うと、
「お帰り」といつもと変わらぬ返事が返ってきた。僕はスーツにリュックを担いだまま、無言で手に持った書類の一杯入った封筒から1枚の名簿登載者通知を由美に見せると、
「どういうこと?」とびっくりしたような表情をしてその書類に目を通し、
「合格したってこと?」と言ってきたので、
「そうだよ、合格したんだよ。でも実感がないんだ」と僕は興奮しながら言った。そして僕は由美を強く抱きしめた。映画などでは、この場面で号泣するのだろうけど、僕はさっきエントランスで大号泣したばかりで涙はもう出なかった。この時、帰国してすでに8年が経とうとしていた。
(~続く)