決死のデモンストレーション
翌日の朝、僕と由美は早めに朝食を済ませ、青のプジョーに乗って、近所の公園に10分くらいで到着した。その日はイギリスの天気にしては晴天で、まさに「ラブリ―デイ」だった。青い芝生が広がっていて、見た目だけで心地良く、空気も青芝の新鮮な匂いがした。ゆるやかな風も心地よい。まだ9時を少し回ったばかりくらいの時間だったので人影は疎らだった。キャップを被った若い母親がベビーカーの赤ん坊をあやしながら歩いているのと、身なりのきちんとした老人紳士がベンチに座って読書をしているくらいだった。とりあえず、僕は空手着で車から降りた。アパートですでに着替えは済ませていた。そして車のトランクから竹刀を取り出した。竹刀の先端には、犬の遊び道具として売っていた網目状のボールを括り付けてあった。それを由美に持たせ、吊り下げられたボールを僕が飛び蹴りで蹴って見せるという手はずになっていた。サンドイッチ道場のオープニングの日にやったのと同じことをやろうとしていた。僕は少し緊張しながらも、なんとかやって見せるという意気込みがその緊張感を和らげていた。
「人がまだあまりいないから、少し車の中で待とうか?」と僕は由美に言
った。
「もう準備して待っていた方がいいんじゃない?」と由美に促され、僕は結局、竹刀を持って公園中央の方へ歩いて行くことにした。
「竹刀は私が持つよ」と由美もやる気が漲っているようだった。
「サンキュー」
僕は由美と共に公園の中央付近に到着すると、早速ウオーミングアップを開始した。由美はそばに座って見ていた。ウオーミングアップを始めて10分くらいすると、小さな子供たちを連れた母親達がちらほら公園に集まり始めた。
「そろそろやってみようか?」と僕は自分に気合を入れるつもりで由美に確認した。
「そうだね、頑張って!」
僕は深呼吸して、空手着の帯を締め直した。2,3本左右の上段回し蹴りを行った後、空手の型の一つである「十八(セイパイ)」を始めた。裸足というのもあって、型をやりながらも足に伝わるグリーンの芝生が心地良く、爽やかな気分になっていた。型を始めてすぐに周りの若い母親や幼児たちがざわめき始め、複数の視線がこちらに向けられているのに気付いた。
僕はとりあえず気合を入れながら型を継続し、一通り終わらせると、すでに周りに数人の観客のような子供達が母親達と一緒に、興味を抱いて集まって来ていた。
「キャラ―テ(カラテ)!」と誰かが喋っているのが聞こえてきた。でも、その発音は日本のものとは違い、かなりなまった欧米人特有の発音なのだった。逆に日本の発音で「カラテ」と言っても通じなかったりするから、言葉は面白い。でも元々日本語なのに、どうして日本の発音ではなくイギリス風の発音にしなくてはならないんだ? と僕は以前、少し憤りを覚えたこともあった。しかし、ここはイギリスなのでそんなこと言っても始まらないのだ。僕はあえてその状況を受け入れた。
僕は型を一通り終わらせてから、次は飛び蹴りに移ろうとして由美に竹刀を持たせ、蹴るのに気合いを入れようと準備していた。周りの子供達からの熱い視線は感じていたが、飛び蹴りが終わってから愛嬌を振り撒こうと思い、この時は技に集中した。僕は脳内にアドレナリンが分泌されているのを感じながら、気合を入れて二段飛び前蹴りで竹刀の先に吊るしてあったボールを思い切り蹴り上げた。足のつま先で蹴り上げられたボールは勢いよく上に跳ね返り、竹刀の先でクルクル回っていた。
「オー!」とどこからともなく小さな歓声のようなものが聞こえてきた。竹刀の先のボールの揺らぎが止まると、僕はすかさず、今度は後ろ飛び回し蹴りを放ち、右足の踵で左側面から右側に勢いよくボールを蹴った。蹴られたボールは、今度は左回転して回り、それから左右に勢いよく振り子のように振れていた。
すると、またちょっとした歓声が上がり、気づいてみると、周りにさらに多くの子供たち集まっていた。3歳から6歳くらいの子供たちだった。僕はすぐに由美から事前に用意してあった道場宣伝のビラを受け取り、子供たちに笑顔を振り撒きながら配った。
子供たちは笑顔で、
「サンキュー」と言って近くにいた母親たちの所へ戻っていった。母親たちの中には僕に微笑んでくれる人もいたので少し安心し、僕も笑顔で返した。
こういう時にもイングリッシュスマイルで返してくれるところは、やはり日本とは違うなぁ、と僕は感じた。僕は由美の所に駆け寄り、
「これはいけるかもしれないね!」と言った。
「効果あったかもね!あとはこれを繰り返して、道場に来てくれるようになったら成功だね!」と笑顔で言ってくれた。僕らはその後、同じ公園内で少し場所変えて同じようなことを5,6回繰り返し、6回目を始める頃にはすでに昼を回っていたので、小学生らしき子供たちも集まって来ていた。僕らが持っていたビラは、あっという間になくなってしまい、取り敢えずこの日はそれで帰ることにした。再度ビラ印刷の準備をしなければならなかった。
僕らはプジョーに乗り込み、公園を後にした。
「やってみて良かったね!来てくれるかどうか分からないけど、何だか今日は達成感があるよ!」と僕はさっきまでの緊張感から解放されて由美に話しかけた。
「上出来だよ!上出来! とりあえず、やるべきことはやっておいて良か
ったよ!」と優子はにこやかに言った。2人ともその日はちょっとした期待感で少し夢が膨らんでいた。
翌週、マーゲート道場にいつものように少し早めに到着し、由美とウオーミングアップをしたり、受付の準備をしたりしていると、車が止まる音がしたので僕は入口を見た。すると、先日、公園で僕のデモンストレーションを見て興味津々だったジェイクという7歳の少年が母親に連れられてやって来たのだった。ジェイクはブラウンヘアーで青い瞳の可愛らしい少年モデルのような子だった。
「ハロー、ナオト!」とジェイクは笑顔で僕に言った。ちゃんと僕の名前を覚えていてくれた。
「ハロー、ジェイク!」と僕は言い、ホールの中に案内して、入門の手続きをしていると、そこから立て続けに3人の小学生が入ってきた。その内の2人はジェフとトッドという華奢な男の子で、もう1人はジェシーという金髪の可愛らしい女の子だった。聞いてみると3人とも公園で会った子たちだった。
この日は新しく入って来た4人以外に、道場オープンの日に入門したライアンとその後入門した彼の兄のルークを合わせて6人だった。初心者には取り敢えず基本的な技を教えることにし、ライアンたちには「太極その一」という型を練習しておくように指示した。この日も一緒に来ていた由美にはこの太極の動きを教えてあったので、動きの手順のアドバイスだけを彼らにするよう頼んでおいた。由美は全くの素人なのだが、僕の道着を仮縫いで小さくし、帯も審査に備えてすでに購入していたオレンジ帯(9級、10級用)を締めて着てもらっていた。
僕は4人の新規入門者たちにはこの道場を気に入ってもらおうと、細心の注意を払い満面の笑顔で対応した。基本技だけでなく、飛び蹴りの練習も取り入れ、サービス精神で向き合った。
稽古が終わると僕は帰り際に、
「空手は楽しかったかい?」と、新規入門したジェイク達に尋ねた。
「楽しかったです!」とジェイク達は異口同音、笑顔で答えてくれた。
「じゃあ、次回も楽しんでね!」と、僕も笑顔で返答した。
僕は、経営者というのがどれほど大変なのか痛感していた。媚びを売るということでは決してないのだが、一人一人の道場生にまた来てみたいと思わせるような気遣いが必須だった。僕はサンドイッチ道場の開設当初の頃に、せっかくジョージの道場からはるばる来てくれた20代の茶帯の青年に、スパーリングの際に強い上段回し蹴りを顔面に入れてしまい、その日以来、彼は2度と道場に来なくなってしまったこともあって反省していたからだった。
いずれにしてもこの日を境に、デモンストレーションの効果が絶大であることを実感し、これを定期的に行っていくことになった。
(続く~)
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