意を決し、いざ英国へ
千葉での空手の演武を終え、しかるべき準備も整え、あっという間にイギリスへ出発する日を迎えた。4月の上旬だが、まだ夕方になると冷える時期だった。僕は妻の由美としばらく会えないのは辛かったが、しばらくは一人で頑張り、ある程度の生活基盤がイギリスでできたら由美をイギリスに呼ぶつもりだった。その日の朝、由美は仕事だったので8時くらいに起床し、出勤の準備をしていた。僕の出発は夕方からだったが、一緒に起床して一緒に朝食をとり、駅まで由美を見送ることにした。由美は少し心配そうにしていたが、それを口に出さないようにしているのが、普段と違う不自然な受け答えから読み取れた。
「大丈夫だよ。1人で頑張ってくるからさ!」と僕は駅の改札口で由美に言った。
「わかっているよ。私、直人ならできるって信じているからね。頑張ってね!時間ある時は電話して!」と由美は少し寂しそうに言った。それから由美は改札口に入って行った後、もう一度笑顔で振り返って、お互いに手を振って別れた。僕は由美が見えなくなるまで見守っていた。しばらく会えない寂しさと、絶対に頑張るという気持ちが交錯していた。それから僕は帰宅し、出発の準備の再点検などしているうちにすでに昼になり、軽く昼食をとり、成田空港に向けて早めに家を出ることにした。
成田空港には出発予定時間の16時よりも2時間ほど早く到着した。到着してまず目についたカフェレストランに入って、アイスコーヒーを注文し、少し時間を潰すことにした。4月にしては、暑いくらいの陽気で、空港に到着した時には少し汗ばんでいたほどだった。
僕はアイスコーヒーをストローですすりながら、これからのことについては不安感というよりも、期待感の方が勝っていて、少し落ち着かなかった。イギリス到着時には、ジョージがヒースロー空港に迎えに来てくれることになっていた。彼にはもちろん前もって到着時間は伝えてあった。搭乗時間近くになり、僕は搭乗ゲートに進み、荷物検査ゲートでベルトコンベヤーに手荷物を乗せた。そして、手荷物検査をクリアして、いよいよ出発の時間になり機内に乗り込んだ。そして座席に座りながら、イギリスで自分の道場を立ち上げて絶対に成功してみせる!という華やいだ期待感で頭の中は一杯だった。
そして11時間後にはようやくヒースロー空港に到着して出口に出ると、すぐに僕を待ってくれていたジョージを見つけた。僕らは固い握手を交わし、
「ナオト!ついに来たね!」とジョージは笑顔で言ってくれた。僕はジョージと同業種の仲間として改めて再会できたことで、大きな安心と新鮮さを感じた。ヒースロー空港のあるロンドンは4月であるにも拘わらず、出発前の日本と比べてやや肌寒かった。空港の女性たちも多くはまだコートを羽織っている姿が見られた。しかし、イギリスに来ていつも思うことは、東洋人(特に日本人)らしき人達はほとんど見られないことだ。白人を中心とした欧米系の人種で空港も埋め尽くされているので、ここは日本から遠く離れたイギリスなのだと強く実感させられるのだった。
僕はジョージのベンツに乗せてもらって驚いたのは、またベンツのグレードが上がっていたことだった。今度はさらに大きなCクラスのクーペになっていた。僕が驚いていると、ジョージは僕の実家の近況についていくつか尋ねてきた。ジョージは以前、夏休みに僕の実家に滞在したことがあったので懐かしく思ってくれたようだった。彼の滞在中には、ほとんど毎日、彼を遊びや空手の稽古に連れて行ったのだった。しかし、東京の名所へはほとんど行かず、僕の友人と飲みに行ったり、池袋にある空手の本部道場の稽古に連れて行ったりした。名所巡りを特にしなかったのは、彼が東京へ来るのはこの時が2度目だったからだった。それでも彼は、池袋の本部道場で稽古ができたことに非常に感激していた。通常、本部道場では海外の道場生でも容易には利用できないことになっていたが、僕の先輩の支部長経由で特別に許可をもらうことができたのだった。
僕らはそんな話もして盛り上がりながら、あっと言う間にジョージ邸の近所にあるハイスのインド料理店に到着した。そこはいかにも高級という名がふさわしい店だった。店員のウエイターも、一流ホテルで見るような小綺麗な白い制服を身にまとっていた。メニューを見ると、いわゆる「~定食」のようなものが見当たらず、starter(コースの最初に出る料理)がメニューの最初に載っていて、その下に様々な品目が載せてあった。僕はこの種のメニューについては全く慣れていなかったので、注文はジョージに任せることにした。
僕らはさらに、積もった話に花を咲かせた。僕はイギリスでのこれからの暮らしに希望に満ち溢れていたので、ジョージと話しながらとても新鮮で清々しい思いでいた。現地にジョージという英国人の心強い味方が存在していることも大いなる安堵感に繋がっていた。
ただ、少しだけ気がかりなことがあった。それは僕自身の道場を開いても、ジョージの支配下になってしまうのではないかということだった。当面の間はジョージの家で世話になり、道場経営に関しても彼の道場に足を運びながら、イギリスならではの道場経営方法を学ぶ予定になっていた。ある程度イギリスでの生活に慣れ、経営手法なども学んだら、僕自身の道場も開設して自分自身で経営していく予定だった。でも万が一、もしジョージが、「僕の支配下でやってほしい」と言ってきたらどうしようかという心配があった。
話し始めて10分もしないうちに、ソーダ水のような飲み物と、starterである前菜が給仕された。テーブルの左横には数種類のスパイス類がクリスタルガラスの小型容器に入って整然と置かれ、独特の香辛料の匂いが漂っていた。程なくして、カレーのルーとナンが給仕された。カレーのルーは日本のカレーライスとは違って、独特のスパイスが効いていて、少しクセのある、大人のカレーという表現しか思いつかない味だった。僕としては嫌いな味ではなかった。
そして、食事がある程度終わりそうになった時、
「ちょっと確認しておきたいことがあるんだけどいいかな?」と僕はジョージに真剣な顔で尋ねた。
「いいよ、言って」とジョージはすぐに笑顔で返答した。
「サンキュー。今後のことだけど、僕が自分の道場を持てるようになった時、僕は君から独立して経営をしていっていいよね?」と尋ねた。するとすぐに、
「当然いいに決まっているよ!」とジョージは笑顔で返答した。彼の笑顔は、彼自身がハンサムであるということもあるが、とても魅力的に見えるのだ。イギリスでは、「スマイル」は人とのコミュニケーションにおいてとても重要とされている。小学校の教室などにゴールデンルールとしてその標語が貼られているくらいなのだ。だから、大抵のイギリス人はこのイングリッシュスマイルを、対面するほぼすべての人に対して実践している。僕は、その笑顔で返答された後、正直ほっとしていた。しかし後で、そのことについてのお互いの理解が不十分だったと痛感させられるのだが。
僕たちは1時間くらいで食事を終えて、夜の9時過ぎにジョージの自宅へ到着した。相変わらずの立派な家である。中に入ると、脱いだ靴を置ける玄関はなかった。欧米の一般的な家では土足で家に上がることになっているが、彼の家の場合は、日本と同じように玄関で靴を脱ぎ、脇に脱いだ靴を置いて入るようになっていた。靴を脱いで中に入って行くと、新築マンション販売のモデルルームのようないい香りがしてきた。ローズマリーのフレグランスが立ち込めていた。その香りだけでもさらに上質感が漂ってくる。彼の家は中古の平屋を改築して2階建てにしていた。二階には彼の寝室とジャグジー機能のついた風呂があり、一階も20畳以上のリビングに高級感のある大きな黒の本革ソファ、その先にはガラスで組まれた新設サンルームもあった。僕は、改築前にジョージが寝室として使用していた一階にある、6畳くらいの部屋を借りることになった。その後ももう少しジョージと語りたかったが、翌日の稽古に備えて早めにベッドに入ることにした。その晩はさすがに興奮した気分よりも睡眠欲の方が勝っていて、あっという間に熟睡することができた。
(~続く)