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ジョージ邸での修行

  それからは、休日以外は毎日午前中にはジョージの買い物や友人宅に行くのに付き合い、昼食をとってから各道場を回った。僕もイギリス流の稽古方法を学びながら、しばしば直接指導にも当たっていた。そうする中で、僕が違和感を覚えたことが一つあった。それは、子供のクラスの準備運動が、日本の伝統ある準備運動の稽古方法とはかなり異なっていたことだった。ジョージにどうして日本と違ったことをやらせているのかと尋ねると、
  「イギリスの子供たちに日本式でずっと静かにやらせると飽きてしまうので、楽しい雰囲気作りのために少しアレンジする必要があるんだよ」と言った。
  実際、子供たちは飛び跳ねたりするアレンジされた準備運動を楽しそうにニコニコしながら取り組んでいた。確かにそれは僕が日本で指導してきた伝統的な準備運動ではなかったが、子供たちが楽しくできるなら英国人の気質に合わせてアレンジしてみる価値もあると感じた。道場生確保というか、まるで集客率を上げるような手法は、まさにジョージの経営手腕だった。
   ジョージが経営している道場は全部で三つあった。彼が住んでいる町のハイスに二つ、そこから車で20分の所にあるカンタベリーに一つあった。そこはカンタベリー大聖堂で有名な地域で、街並みもハイスより栄えており、高級住宅街が連なって落ち着いた雰囲気があった。これらの道場には僕が最初に行っていたハイス道場と同様に、昼過ぎから空手のクラスがそれぞれ3つあった。最初のクラスは早めに学校を終えた幼児に近い子供たちのクラスだった。それから徐々に年齢層が上がっていくクラス編成になっていた。大人の部のクラスは最後に設定されていた。さすがにジョージがすべての道場を回りきることはできなかった。そのため、ジョージは曜日ごと順番にそれらの道場を回り、指導に行けない日の指導は、道場生の1級くらいの茶帯を締めた大学生などに指導させ、アルバイト代を支給していた。そうすることで、1日に、ほぼ9クラス分の収入を得られる仕組みになっていた。それを知って、僕はジョージの成功の理由を初めて理解することができた。

(続く〜)

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