イギリスで英国人の黒帯と一騎打ち
渡英することになる
僕は英語教師を辞め、イギリスで空手家として永住することを決心しました。
僕がいた高校では、英国英語研修といって、生徒を
100名ほどイギリスに引率する仕事を任されることが何度かありました。最初に引率した際に、宿泊していた寮の近所に極真空手の道場を偶然見つけて、そこで知り合った道場生の青年と仲良くなりました。彼はその後独立して道場経営者として成功を収めました。
映画やドラマでよくあるような話ですが、丘の上にグリーンの広大な芝生のある豪邸を買い、スペインにも両親のために家を購入し、メルセデス・ベンツを乗り回し、恋人にもスポーツカーをプレゼントしていました。
僕はビザのことが気にはなっていましたが、当時の限りある情報を収集した結果、労働ビザの発行はうまくいくのではないかという予測でした。そして、英国で、空手を通じて国際交流を図れる夢のある裕福な生活に心を惹かれ、11年も在職していた教員を辞めることにしたのです。
ジャック、オリバーとの一騎打ち (part 1)
渡英後はその成功者である友人のジョージ邸でしばらくの間は居候し、その後、自分の道場を立ち上げる予定でした。
しかし、渡英直後は時差ボケや、米もないため、食生活で十分な体調管理がなされず、体調があまり優れない日々が続きました。少なくともそんな状態でガタイのいい屈強なイギリス人と組手をする訳にはいきませんでした。
そういう理由で、僕がジョージの道場へ行って指導する際もまだスパーリングはしないようにしていました。ただ、最初は僕に敬意を払っていた黒帯や茶帯の道場生達も、身長が170しかない僕が本当に自分らより強いのかという懐疑心が増していったような態度を取り始めました。要するに舐めた態度を少しずつ取るようになってきたのを感じました。
そうこうして2週間後くらいには、ようやく近くの町で日本米と同じ味の韓国米を手に入れることが出来ました。時差ボケも回復し、体調も整いました。さらに近所にトレーニングジムを発見し、ベンチプレスやバーベルスクワットを高重量で久しぶりに上げることが出来るようになりました。そして気力、体力共に充実し、渡英して2週間と少し経った道場指導の日の朝、「今日は日本の空手を見せてやる!」と、日本人としてのプライドと闘争心が心の底からメラメラと湧き上がって来るのを感じました。
その日、ジョージと僕が道場に到着し、しばらくしてから黒帯や茶帯の上位の道場生達が姿を現しました。相変わらずの視線を僕は感じましたが、その日は早くからやる気満々で、その闘争心を悟ったのか、普段は最後にするスパーリングを基本稽古が終わってからすぐに行うとジョージが道場生に告げました。
そしてジョージはいきなり、
「ジャックとスパーリングお願いします」と僕に言ってきました。
ジャックは黒帯で、ジョージ道場では指導者としてナンバー2の地位を築いており、身長は僕と同じ170くらいでしたが、金髪の坊主頭で目は鋭く、ガタイも良く、貫禄のある空手指導員というオーラを出している男でした。しかし、僕がそれ以前にイギリスに来て彼に初めて会った時は、彼はまだグリーン帯(3級)だったので、
「黒帯になり立ての男になんかに負けてたまるか! 今に見てろよ!」という闘争心全開で、早くから心の準備が出来ていました。そして、すぐにジャックと対峙し、
「はじめ!」の合図でスパーリングは始まり、僕は 逸る心を抑えつつ、ジャックの動きを見ていました。ジャックはボクサーのようなステップワークを使い、少し舐めたような体勢で僕に対して臨んで来ました。すると、ジャックが左右のワンツーパンチから右の上段回し蹴りを放ってきました。僕はそのパンチを腕でかわし、右の回し蹴りを両手で受け、右手で払い、その足に左の下段蹴りを放ちました。そこからは、今まで溜まっていたものが解き放たれたかのようにスイッチが入り、ワンツーパンチからの左右の下段蹴りや中段回し蹴りを何発もジャックにお見舞いしました。ジャックも下段蹴りを放って来ましたが、その時の僕の相手にはなりませんでした。最後は壁際までジャックを追い詰め、そこから左の上段回し蹴りをジャックの右こめかみに命中させました。ジャックは膝を落として前かがみになったところで、
「やめ!」の合図がジョージから入り、周りの小学生も含めた道場生達から、
「オー!」という歓声が上がりました。
失神寸前から我に返ったジャックはスパーリング終了後の挨拶が終わるとすぐに僕の所に再度来て、
「押忍、ありがとうございました。
You are very strong!」と、イングリッシュスマイルで今までとは違った最大の敬意を表した表情で、両手で握手を求めてきました。
「遥かなる地での挑戦記〜
イギリスで空手家を目指した英語教師〜」
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