ジョージとの確執
8月に由美がイギリスにやって来た時、僕の道場経営は当初の予定に反してまだ軌道に乗っておらず、ジョージに支払うことになっていた管理料も重荷になっていた。僕は意を決してジョージにこの窮状を脱するためのいい案はないかと相談しに行こうと思っていた。何しろ、僕が道場を開設した7月下旬以降は、イギリスでは労働者に3週間の夏休みが通常与えられている。そのことも原因で最初はなかなか生徒が集まらず、ジョージに助けを求めるしかなかった。僕はある日の午前10時頃に1人でプジョーを走らせジョージ邸に着くと、ジョージはいつものように温かく出迎え入れてくれ、いつものようにティーを振舞ってくれた。ジョージの家は高級なフレグランスを置いているのと、大々的に改装工事も行った直後でもあり、まるで高級住宅の内覧会に来たような雰囲気を醸し出していた。来る時はいつもゆったりくつろぐことができたのだが、この時は緊張していた。僕は出された紅茶をちょっとすすって、少し落ち着いたところで目の前に座っているジョージに僕の方から話しかけた。
「ジョージ、知っての通り僕の道場になかなか生徒が集まらなくて困ってい
るんだ。何かいい手立てはないかな?」と僕は藁にでもすがる思いで尋ねた。
「こういう道場経営は会社と同じで、生徒も定着するのに時間はかかるよ」
「それは確かにそうだね。でも、ちょっと今、経済的に苦しいんだ」
「ナオトも日本で何年間も仕事をやってきて、貯金はないのかい?こういう
時期には貯金で乗り切るのが普通だよ」
「実は貯金も、車や家具や、電化製品を購入したりして、もうほとんど残っていないんだ」
僕は金銭面での計画が甘かったのを反省していた。僕はそんなことを一つ一つ説明している間に、知らず知らずのうちに涙が溢れていた。決してそんな醜態をジョージには見せたくなかったのだが仕方がなかった。金銭的な余裕はなく、まさに家計は自転車操業のようになっていた。電気代やガス代は未納分が増えてきていて、テーブルには督促状が山積みになっていた。僕はその時、由美がせっかくはるばる日本から来てくれたのにこんな状況では本当にすまなく思い、それもあっての涙であった。するとジョージは少し考えてから、
「わかった。しばらくの間は管理料はなしでいいよ」と言った。僕はジョージのその申し出が嬉しかったが、根本的な解決策という訳ではないのであまり気分は晴れなかった。それでもジョージの気持ちは有難かったので、
「ありがとう、頑張るよ!」と僕は笑顔でジョージに言い、それから自宅に戻った。
その後、由美の協力もあって、公園などでのデモンストレーションで道場生が次第に集まるようになった。しかし、ジョージとの友情はこの管理料の件を境に少しずつ亀裂が入って行った。しばらく管理料の支払いはなしでいいと言われたけれども、そこに彼に対する負い目を感じざるを得なかったし、そのうちまた支払いを再開しなければならないはずだ。それに加えて、ある時こんなことを言われた。
「ブラッドがナオトのこと怒っていたよ。道場生を奪われたって」と、ジョージはいつになく強いトーンで僕に言ってきた。
「それはどういうことかな?」僕は驚いて聞き返した。
「この前、ブラッドが仕事で道場指導に行けない時に、代わりにナオトがブラッドの道場に行ってくれたよね。その時にナオトが教えた女性の生徒が、その後ナオトの道場に行ったんだよね?」
「ああ、来たよ、1人」
「それでブラッドは怒っているんだよ」
「どうして? 僕は来たければ僕の道場にも来ていいよって言っただけだよ」
「まあ、そういうことは気を付けた方がいいと思うよ」
「そうか、わかったよ、気を付ける」
僕は納得がいかなかったが、ジョージが強めに言ってくるのでそれ以上反論するのをあきらめた。ブラッドは、ジョージの下でジョージと共に道場経営している黒帯指導員だった。ブラッドはジョージから正式に道場を分け与えられていてアルバイトではなかった。僕が生徒引率でイギリスに最初に来た時、ジョージは茶帯(1級)でブラッドは黄色帯(5級)だった。当時、僕はすでに黒帯だった。
そんなことを思い出すと不服さが増したが、今やジョージはこのエリアで成功し、このエリアの道場主でもある男なのだった。僕も当然のことながら彼に敬意を払わなくてはいけなかった。同時に、ジョージから僕への友情も厚いと僕は信じたかった。しかし、ずっと後輩であるブラッドにそんなことで腹を立てられるのは心外であるし、ジョージに頼まれてボランティアで彼の代わりに教えに行ったのだから、ジョージからも感謝してもらいたいくらいなのだ。
ジョージにとってブラッドは、同じ地域で一緒に道場を大きくしていった同胞という思いが強いのかもしれない。実際、ジョージはブラッドの誕生日に20万円もするパソコンをプレゼントしたことがあると言っていた。いずれにしても、ブラッドの肩を持つことが多かったように思えた。それが明らかになったのは、年末に黒帯研究会を実施したいとジョージが言いだした時だった。ジョージが言うには、黒帯を取って道場に足を運ばなくなったメンバーを呼び戻したいとのことだった。そのパンフレットのようなものがすでに出来上がっており、その指導員メンバーとして僕の名前も挙げられていた。しかし、そのメンバーリストのページには、上から、ジョージ、ブラッド、そして僕の名前であった。今考えるとどうでもいいようなことに思えてしまうが、当時、その世界だけで生きていくことを決意していた僕にとって、その順番は到底納得のいくものではなかった。
また、こんなこともあった。ある時、ジョージの体調が悪くて、急遽、僕がハイス道場に指導で行った時のことだった。ハイス道場はハイスの小学校を借りており、ホールを稽古場にしていた。その学校にはホール脇の廊下に印刷機が設置されていた。僕はそれを知っていたので、印刷用紙さえあれば少しくらい使用しても構わないのではないかと勝手に思ってしまっていた。印刷機は日本製で僕が日本の職場で使っていたものと全く同じメーカーで、親近感もあった。日本のメーカーの偉大さをこの時も痛感していた。
僕はその日、家からビラ用に買っておいた印刷用紙を50枚ほど持参し、稽古の休憩時間にそこへ行って印刷を開始した。生徒達からは見えない所に設置してあったので、僕が印刷機を作動させても目立たなかった。だが、その後数日して、ジョージから電話がかかってきた。
「ハロー、ナオト!」
「ハロー、ジョージ!」
「先日は僕の代わりに指導行ってくれてありがとう。
ところで、小学校に印刷機があるのは知っているよね? 実は小学校から電話があって、勝手に使わないでくれって苦情を言われたんだよ。ナオト、もしかして使った?」
「ああ、使ってしまったよ。まずかったかな。ごめん」僕は少し焦って言った。
「ナオト、彼らはちゃんとカウンターで計算しているから、勝手に使ったらすぐにばれるし、僕の道場も借りられなくなってしまうんだよ。ナオト、悪いけど、もう二度とハイス道場には来ないでくれよ」とジョージはかなり強い口調で僕に言った。
僕はその時、親友だと思っていたポールからそんな強い口調でそう言われてショックを受けた。英語だと、(must not come)[もう決して来るな]という強い表現で言われたので、そのニュアンスで頭の中が一杯になり、ジョージへの信頼感が音を立てて崩れていくような気がした。確かに、考えてみれば、インク代、電気代などもかかるし、小学校側からすれば勝手に使われたくないというのも理解できる。
でも以前、別の小学校で僕がたまたまビラの配布をお願いしに行った時に印刷機の使用をお願いすると、すんなり許可してくれたこともあって、僕の中ではそんなに悪いことをした実感がなかったのだ。それ以外は町の印刷屋で3ポンドくらい使って、100枚ほど印刷していた。
いつも僕は、何か不快なことを人から言われたような時は、僕ならそんな言い方ではなくこう言うのになぁ、と自分に置き換えて考えてみるようにしている。この時も、僕がジョージの立場なら、
「次回は気をつけてよ。僕から小学校には謝っておくから」と言っていただろうと思った。でも、こういうところは、日本人とは違い、イギリスでは友情よりもビジネスが最優先なのかもしれない。また、言うべきことははっきり言うのが習慣なのだ。ドイツもそうだと聞いたことがある。いずれにしても、僕はジョージに謝って、ハイス道場には二度と行かないと約束した。さらに翌日、ジョージの家に行き、20ポンドをジョージに渡し、小学校へ払ってくれないかと頼んだ。ジョージは僕に対して初めて不機嫌な顔をしながら、無言でそれを受け取った。家の中にも入れてくれる素振りもなかった。玄関先で渡し、すぐに僕は帰宅した。この時も、僕がジョージの立場だったら、
(いらないよ、次回は気を付けてよ。ナオトのことは信頼しているから。中に入ってお茶でも飲もうよ)、とでも言うのになぁ、と心の中で思っていた。
(続く~)
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