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車売却、そして引っ越し


  10月になり、毎月のアパート代、食費、電気代、ガス代、ガソリン代などの出費で、ある程度収入が増えてきたとはいえ、相変わらずなかなか厳しい生活を強いられていた。自転車操業とはこのことかと思ったくらいだった。なんとか食い繋いではいられたとはいえ、状況を少しでも改善する必要があった。出来ることと言えば、車を売却し、古くて安い車に変えることと、より安いアパートへの引っ越しだった。

  この時乗っていた車はフランス製のプジョー205でライトブルーのオートマだった。中古で買ったが走行距離はまだ約1万5千キロで綺麗な車だった。当たり前だが、約100万円で買えたので日本でプジョーを買うよりずっとお買得だった。気に入って購入したので売るのは嫌だったが、背に腹は代えられない。仕方なく売却を決心し、日曜日にハイスから車で20分ほどの所にあるカンタベリーという町の中古車屋に行った。イギリスの車とも言うべきローバーの小型モデルで、日本のホンダと共同開発して作られたローバー200(日本名はコンチェルト)の赤いモデルと交換という形で取引し、プジョーは約75万円で売れ、ローバーは約50万円で購入したので約25万円を手元に残すことが出来た。   

  でも、かなり乗られている車で走行距離は7万キロ近くだった。この車はマニュアルだった。イギリスではアップダウンの道路が多く、日本の横浜や日本のどこかの山道のような入り組んだ道がしばしばあった。風土的にもオートマより、マニュアル仕様が好まれていた。日本とは異なり、イギリスでは8割方がマニュアル車であるようだった。

     取り敢えず少しのお金を手にし、早速住居費や溜まっていた光熱費の支払いなどに充てると、すでに半分くらいに減っていた。次は安いアパートへの引っ越しをする必要があった。この時、10万円くらいの高級アパートに住んでいた。さすがに快適で、建物も鉄筋コンクリート作りだし、セントラルヒーティングで部屋中が暖かかった。さすがに伝統ある国の知恵という他ない。エアコンとは違って、じっくり部屋全体が温まっていく効果がセントラルヒーティングにはあった。

こんな素敵な部屋を借りてしまったのは、最初にアパートを決める際、

「教員の時よりもずっと稼げるから大丈夫だよ」とジョージが言ってくれて、それを鵜呑みにし、その勢いで借りてしまったのだった。

僕はインターネットでより安い物件を探し、8万円をちょっと越えるくらいの物件を見つけた。早速次の日には由美と内覧に行くことにした。そこはハイスからかなり離れてはいたものの、僕が経営していたサンドイッチの道場やマーゲート道場、そしてセント・ローレンスカレッジにはより近かった。ドーバー海峡寄りの場所で、ラムズゲートという地名で海がより近い場所だった。マーゲート道場はそこから車で5分くらいの場所にあった。しかし、建物の作りは鉄筋コンクリート作りという感じではなかったし、お湯も瞬間湯沸かし器方式ではなかった。先進国とは思えないような、電気で1時間くらいかけてタンク内に湯を沸かす方式のものだった。しかもタンク内のお湯が切れると、冷たい水しか出て来なくなるのだった。冬場の入浴で何度もシャワーの途中で冷水になってしまったことがあった。日本のプロパンガスや都市ガスとは程遠いものだった。

      でも、住む前はそこまで気づいておらず、見た目は小綺麗な雰囲気で3階ということもあり、窓から海が見えたし、由美も気に入ってくれたので僕は契約することに決めた。僕は内覧の後、すぐに不動産屋に足を運んで契約を済ませ、あとは引っ越しをするだけだった。荷物は4か月ほどしか住んでいなかったため、それほど増えてはおらず、トラック1台で十分に運べそうだった。でも、これを僕と由美で運ぶのはきついだろうと容易に想像することができた。しかし、やらなければならなかった。そんな時、サンドイッチ道場の稽古が終わった後、数人の道場生達が僕を囲って、いつものように稽古後の団らんの時間になった。まるで日本の首相のぶら下がり取材のようだった。その際、僕は誰かに引っ越しのトラックのことを尋ねたいと思って、その話題を持ち出したところ、1人の成人男性が、

「僕が手伝いますよ!」と言ってくれた。彼はマーゲート道場でジェイクの送迎に来ていた父親のアーロンであり、その後入門し、サンドイッチ道場にもジェイクと一緒に稽古に参加するようになっていた。

「本当にいいんですか?」と僕は半信半疑で聞き返してみると、

「お安い御用です」とアーロンは答えてくれた。

  翌日の引っ越し当日、朝9時にアーロンが2トントラックを借りてきてくれて驚いた。本当にトラックを借りてやって来てくれたことがとても嬉しかった。その前の日、僕は新しいアパートを借りる際に地元の不動産屋に行き契約書を交わした。僕は慎重に契約内容を確認しながら、担当の中年女性店員から説明を聞いた際に正確に聞き取れなかった部分があったので聞き返したら、「〇〇って言っているでしょ!」と、その女性店員から、とてもお客に対する態度とは思えない口調で強く言われたのだった。僕はそんな女性店員からの東洋人に対する蔑視のような態度の悪さにショックを受けていたので、アーロンの親切心はなおさら嬉しくて身に染みたのだった。

     早速アーロンと一緒に僕らの荷物と家具をトラックに運び始めた。新しいアパートに荷物と家具を運び入れるのに1日中かかり、終わったのは夜の7時を回っていた。その後、僕は感謝の気持ちを込めてアーロンを夕食に誘ったが、アーロンは、

「マックでいいよ」と言うので、僕は近くのマックでダブルチーズバーガーとフレンチフライを2つずつ注文した。

  「マックのハンバーガーで本当にいいの?なんか申し訳ないよ」と僕は本当に申し訳ないと思ってそう言った。

  「僕はマックのバーガーが好きだからこれで満足なんだ。ちなみに、僕の歯は乳歯のままだから、ファーストフードが一番食べやすくていいんだよ」とアーロンは笑顔で言って、その歯を見せてくれた。確かにアーロンの歯は乳歯だった。僕らはそのあと歓談して食事を終えると、それぞれ帰宅した。しかし、1時間後に新居のベルが鳴った。誰だろうと思って戸を開けるとアーロンと彼の可愛らしい奥さんの2人がオーブンレンジを持って来てくれたのだった。彼らの家はマーゲートにあった。だから僕がマーゲートに引っ越してきたので、いいご近所さんになった。

「オーブンレンジを買うまで、良かったら使って」と奥さんのジェニーが言ってくれた。イギリスでは日本の電子レンジと同じくらいオーブンレンジがキッチンでは主流だった。昔ながらの本格的料理を好む文化が根付いているようだった。

「良かったらお茶でもどうですか?」と僕は誘ったが、彼らは気を遣って、

「ありがとう!でも大丈夫」と言って2人は帰って行った。僕は、この日の恩を一生忘れない、と心に誓った。

(続く~)


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