遥かなる地での挑戦記
僕がホールのエントランスにある受付カウンターの所から中を覗いていると、指導員らしき筋肉隆々の、スキンヘッドの黒帯が僕のところにやって来た。背丈は大きくなく僕より少し低いくらいだが恰幅が良く、年齢は五十歳前後に見えた。帯を見ると金線が3本入っているのですぐに3段だとわかった。僕は当時初段であった。
「ハロー」と声を掛けられたので、
「ハロー」と僕もすぐに返答した。すると、
「ここで空手を習いたいのか?」と聞いてきたので、
「私は日本人で、すでに同じ流派の初段を持っています。仕事で今イギリスに滞在していますが、できたらここで滞在中に稽古に参加させてもらいたいんです。練習するのにいくらかかりますか?」と尋ねた。すると、
「黒帯ならいつでもウエルカムだし、フリー(無料)だよ」と彼は笑顔で言ってくれた。僕は嬉しくなり、自分の名前を伝え、次回また来たいと告げると彼は快く承諾してくれた。彼の名はトミーといった。後でわかったのだが、彼はこの町では知らない人はいないくらいの有名人であった。有名人というより、この町の顔役と言った方がふさわしいのかもしれなかった。実際、彼と町を歩いていると、すれ違う人の多くが彼に敬意を表した挨拶をするのだった。
僕は、その日はそのまま寮に戻ったが、少し興奮して落ち着かなかった。肝心の空手着があればいいなぁ、と思ったが、ないのは仕方ないので次回はジャージで稽古するしかなかった。それでも、空手道場の発見は予想外の展開で、イギリスで空手の稽古ができるということが嬉しくて仕方なかった。異国の地で異国の人々と空手の稽古ができるということに、何かとても新鮮さを感じ、気分が高揚していくのを感じていた。でも実際、僕が黒帯を取得してから2年ほど空手の稽古から遠ざかっていたのもあり、正直少し不安でもあった。最初に教会の道場を訪れてから3日後が次の稽古日だった。火曜日と金曜日の週2回だった。次の稽古日である金曜日に行くまでには時間がほとんどなかったが、ブランクを少しでも埋めるため技の練習をしておこうと思った。柔軟体操から蹴りの練習、特に回し蹴りの練習を何度も行った。しまいには引率してきた生徒の中にラグビー部の体格のいい生徒がいたので、練習相手を頼んだら面白そうだと言って引き受けてくれた。蹴りのまねをさせてそれを受ける防御の練習までしておいた。
そしていよいよ金曜日がやってきた。その日は朝から気分が高揚していたが、それと同時に多少の不安もあった。そして稽古の時間になり、寮の自転車を借りて道場に到着すると、もう何人かの道場生が空手着に着替えて道場に入っていた。僕は興奮を抑えながら持ってきたジャージに着替え、道場内に
「押忍!」と言って入った。僕が来たのを見て道場内の生徒達はこちらを一瞥し、こちらに挨拶を返すこともなく、道場の片隅に集まって何か話し始めた。どうやら、日本人の黒帯らしき男が今度稽古に参加しにやって来るという話を聞きつけていたというような雰囲気だった。僕はいわゆるアウェイの気分になり、仕方なく彼らと反対側の片隅で彼らを背にして柔軟体操でもすることにした。それから突きや回し蹴りをするなどして体をほぐし、最後には得意の飛び後ろ回し蹴りをやってみた。すると、後方から
「ヒュー!」「ワオー!」というちょっとした歓声が聞こえてきた。少しは黒帯としての実力を認めてもらえたってことかと思い、僕は少しほっとした。するとすかさずその道場生の中の1人が僕の所に駆け寄り、
「Would you like to warm us up?」(準備運動の指導お願いします)と言いに来た。
彼は中肉中背のハンサムな茶帯(一級)だった。おそらく、この中では一番古くてリーダー格のよう存在なのだろうと瞬時に感じられた。その場には黒帯はおらず、茶帯が彼を含めて2人だけだった。彼の名前はジョージ・ブラウンといった。彼との出会いはその後の私の人生を大きく変えることになるとは、その時はまだ予想だにしなかったが。僕は思ってもみなかった彼の申し出が嬉しくてすぐに、
「Yes, of course!(もちろん、いいですよ!)」と返答した。僕は早速、上下が紺色ジャージのスタイルで初対面の25人ほどのイギリス人の集団の前に立ち、まずは
「押忍!」と大きな掛け声をかけると、彼らからも、
「押忍!」と大きな声が返ってきた。僕が準備運動の、
「いち! に! さん!」と号令を掛けると、彼らもそれに続き、
「いち! に! さん!」と真剣な眼差しで声を出した。日本の空手道の気合の入った声が教会のホール全体にこだまし、私は不思議な感動を覚えていた。
始めて10分くらい経過して準備運動がそろそろ終わりかけようとした時に、道場主であるトミーが遅れてやってきた。トミーは僕を見ると、にっこり笑顔で
「押忍、サンキュウー、センパイ」と挨拶した。僕も、
「押忍!」と挨拶を返した。ちなみにイギリスでのセンパイとは「初段」という意味である。二段になると「センセイ」になる。日本人としてはちょっとおかしく思ってしまうかもしれないが、言葉とはそういうもので、これが彼らイギリス人の間で共有された1つの言葉になっていた。その後、僕に代わってトミーが正面に立ち、元立ちとして基本の技から指導を開始した。トミーは身長こそ165センチくらいで、イギリス人にしては低いほうだが、スキンヘッドで胸囲も1メートルはあり、腕も太く恰幅が良かった。貫禄のある道場主だった。黒帯の3段を示す金線3本も彼が締めるとなかなか似合っていた。そんな彼が「いち! に! さん!・・・・・」と日本語の掛け声をかけているのを目の当りにすると、空手は国際語みたいなものだなぁ、と今更になって感心してしまった。
一通り稽古が終わって、僕はホールの横にあるカウンターの裏に行って着替えをしていると、先ほど僕に準備運動の指導を頼みに来たジョージが笑顔でやって来た。どうやら日本人の黒帯である僕に興味があるようだった。どうしてイギリスに滞在しているのか、どれくらいの間滞在する予定なのか、今どこで生活しているのかといった質問を立て続けにしてきた。しまいには自分の家に遊びに来ないかと誘ってきた。
「明日は時間ありますか?」とジョージは笑顔で聞いてきた。
「時間ありますよ。けっこう暇なんです。生徒の監督業務は午後にはないことも多いんです。ちょうど明日の午後は空いていますよ!」と僕は返答した。普段、午前中は寮の一階で生徒達は英語の授業を受け、午後は近所に観光に出かけたり、サッカーなどのスポーツをして遊んだりしていた。午前中の授業の合間には休憩時間が15分ほどあり、生徒は売店でお菓子を買うことができる。僕の監督業務としての仕事は販売時に生徒を整列させることであった。あとは生徒が前半組と後半組に分けて2週間交替でホームステイを体験することになっており、ホームステイしない場合は授業を受けられる教室付きの寮で過ごすのだが、そのホームステイ先での苦情を受けて生徒指導するくらいであった。例えば、こんなことがあった。苦情を受けて男子生徒が泊まっていた家に行き、そのホストマザーから話を聞くと、その生徒が夜中に起きてたまたまホストマザーと廊下で会った際にネグリジェ姿の彼女を見て、
「オー、ユーアーセクシー!」と言ってしまったそうだ。ホストマザーはかなり不気味になり、もう面倒が見られないので引き取ってほしいと言われてしまった。その際は仕方ないので寮に彼を引き取り、その後、その生徒の指導にあたった。生徒は思い浮かんだ英語を思わず口にしてしまったのかもしれないが、普通に考えれば、「あなたは悩殺的ですね!」などと、ほとんど親しくもなっていない外国人の他人から、いきなりそんな失礼なことを言われたら不気味に思うのは当然だろう。とはいえ、そんな指導はめったに起きなかったので、普段はかなり暇を持て余していた。翌日には誘われたジョージの家を昼過ぎには訪ねていた。
前の晩にジョージに書いてもらっていたジョージの家への道のりをメモで見ながら、それらしきテラスハウス風の建物を見つけることができた。ドアの横にあったベルを鳴らすと、ほどなくして戸が開き、ジョージが笑顔で出迎えてくれた。中に入ると、母親を紹介してくれた。50代前半くらいに見え、ブラウンのショートカットで、優しい感じの小柄な細身の女性だった。笑顔で挨拶されてとても感じが良かった。
すぐに彼の部屋へ通された。日本でいえば6畳ほどの部屋で、独身者の部屋にしては小綺麗にしてあった。少しすると母親が紅茶を持ってきてくれた。僕は普段ジョージが使っていると思われる書斎の椅子に腰かけ、ジョージは簡易的な椅子に腰かけて、それからどちらからということもなく話が始まり、1時間、2時間はあっという間にたってしまった。話の内容は主に空手の話だったが、それから日本の習慣や、イギリスの習慣、さらにプライベートな話になっていき、好きな女性のタイプから、彼女の話まで話すようになっていった。英語はずっとやってきたとはいえ僕はさすがに疲れを感じた。それでも、今まで欧米人とこんなにじっくり楽しく話をして盛り上がったことがなかったので、その疲れを超えて話を続けることができた。そして話もようやく一段落したので、2人でチェスをすることになった。僕はチェスをするのは初めてだったが、ジョージにやり方を教わっているうちに、日本の将棋とルールが似ていることに気づいた。そうこうしているうちに夕方になり、とりあえず寮へ帰ると告げると、
「また来てくれ、いつでも歓迎するよ!」と言われ、とてもうれしい気持ちで帰宅の途に就いた。ジョージの家から寮まで徒歩で15分くらいかかったが、イギリスのグリーンの芝生で覆われたきれいな街並みを見ながら歩くのはとても爽やかで気分が良かった。6月の夕方に吹く穏やかな風もまた心地良かった。
そんなこともあり、僕の英国滞在生活にも活気が出てきて、それまでの平凡で退屈な生活から解放された気分だった。翌日には日本の実家にいる母親に直接電話をし、空手着をすぐにイギリスに送ってくれるよう頼んだ。母親にしてはちょっと不思議に思ったようだったが、事情を説明するとすぐに納得してくれた。ジョージのいる道場には週2~3回は行くようにした。滞在期間は1か月なのでもっと行きたいところだったが、道場も教会のホールを借りているので、毎日やっているわけではなかったから仕方なかった。
ジョージの自宅を訪問した翌週には日本から空手着も届いた。大袈裟だが、この時ほど母親に感謝したことはなかったような気がするくらい嬉しかった。ジャージで稽古に行って、たとえ黒帯と認められたからと言っても、やはり空手着を着て黒帯を締め、英国の道場で稽古したいと思うのは当然のことだった。
そして2回目の道場稽古に行く際には空手着を持参して行けたので、僕は嬉しくて胸を躍らせた。久しぶりに、そしてイギリスの道場で黒帯を締めた気分は最高だった。道場生たちは黒帯を締めた僕の姿を見て、本当に黒帯だったんだ、という彼らの疑念が払拭されたような顔つきで僕を見ていた。稽古が終わった後は、たいてい仲の良い仲間数人で車に乗り込んでビールを飲みにパブに行き、楽しい語り合いをした。ジョージが中心になって毎回僕を誘ってくれた。僕が行けば、当然のことながら日本の空手の話になった。
「ナオトはいつから空手をやっているんですか?」
「ナオトは試し割りで何を割れますか?」
「日本にはどんな強い選手がいますか?」といった質問攻めになった。みんな僕に質問する際に、とても丁寧に気を遣いながらも、フレンドリーな表情で話しかけてくる態度に、僕はとても感銘を受けた。英国人と一つの武道を通して交流できている状態がとても新鮮に感じられた。これが国際交流ってやつなんだなぁ、という思いに耽った。
そんな楽しい生活もあっという間に終わり、退屈な4週間が、楽しくて充実した4週間に変わってしまった。人生とはつくづく面白いものだと、この時ばかりは実感した。そして、空手をやっていて本当に良かったとも思えたひと時だった。帰国すると、もう7月初旬で、イギリスとは違い日本はかなり蒸し暑かった。帰国してからもイギリスへの思い出は強く、しばらくの間は時間があれば物思いに耽っていた。
(続く)