ビザを再度申請
そんな幸せを感じる日々を送れるようになって2週間くらい経ったある日、ホームオフィース(英国内務省)から郵便物が届いた。僕は期待を込めてすぐに開封した。中に入っていた便せんには結果が記入されていた。ビザ申請は却下されていた。有頂天から一気にどん底に突き落とされたような気分になった。それでもなんとかしなくてはと必死に考えた。しばらくすると意外とすぐに前向きな気持ちになれた。そういうところは成長したというか逞しくなっている自分を認識することができた。
僕は必死に考え、いろいろ考えた末のプランは、セント・ローレンスカレッジのターナー校長に、勤め先の責任者ということでビザ申請書にサインをもらうことだった。この場合、フルタイムの職員という条件がその書類の記入上の注意書きにあった。でも僕は神にすがる思いで、その規定に反してまでチャレンジしようと決心していた。
翌日、早速セント・ローレンスカレッジのターナー校長を尋ね、その書類にサインをお願いできないかと頼むと、笑顔で快く応じてくれた。その時、僕は彼のことが神様のように見えた。彼はいつものように英国紳士らしくグレーのツイードのジャケットを身にまとい、青のストライプのシャツと紺の水玉のネクタイをして上品で優しかった。
僕はサインしてもらった書類を携えて帰宅すると、すぐに書類郵送の準備をしてその翌日には書類を送付してしまっていた。僕はそれが最後の希望でもあることは十分承知していた。ターナー校長のお墨付きがあったとしても、非常勤講師なのであまり期待はできなかった。それでも送付から1週間を過ぎると、そわそわして落ち着かず、2日に1回は学校に電話して確かめているという状態が続いた。しかし、すぐに冬休みになり、10日くらいは何もできずにいた。
年が明け、それから2週間くらいして、ようやく結果が届いた。学校へその通知が行くものと思っていたが、直接自宅に届いた。封筒を手に取って、ドキドキしながら早速封を切って結果を確かめたが、前回と同様な結果でビザは認定されなかった。さすがに僕のショックは計り知れないほど大きいものだった。このまま英国に滞在し続けたら不法滞在になり、場合によっては捕まってしまうなどということもありえるからだ。それよりも、せっかく夢を追って、すべてを投げ出し、新妻である由美まではるばる来させて、将来有望な道場を2つも持つことが出来、まさにこれからという矢先であった。
翌日、僕は自分のショックを抑えつつ、こんな状況でも少しでも前向きになろうと心掛け、ジョージ邸を訪問することにした。昼食を取ってから行くことにした。由美にはすでにその結果は伝えておいた。由美は僕を心配させないように振舞っているのか、常に冷静で、
「きっといい手があるよ」と、僕を励ましてくれていた。もし、ここで由美もあからさまにショックを受け、それを僕に対して示していたら、僕はさらに落ち込んだに違いない。僕は由美の気丈さを改めて噛みしめていた。
その日の昼過ぎ、僕はジョージ邸を久しぶりに訪ねた。ジョージは僕が久しぶりに来たのが嬉しかったのか、満面の笑顔で迎え入れてくれた。僕は黒い革張りの豪華なソファに腰かけ、ジョージがいつものように紅茶を運んできてくれた。頃合いをはかって僕の方からビザの件を打ち明けた。ジョージはそれを聞くと、やや神妙な面持ちで少し考えてから、口を開いた。
「このままイギリスに居続けたとしても、役人や警察はナオトのこと
を探しには来ないから大丈夫だよ」
と意外な返答をしてきた。僕はてっきり、「仕方ないね」、というまともな返事をするとばかり予想していたからだ。でもジョージは以前、こんなことを僕に話していたことがある。税金についてのことだ。ジョージは聞くところによると、かなりの年収を得ているらしい。それで本人に税金対策はどうしているのかと聞くと、
「そんなに稼いでいないっていうことにしているんだ」と、武道家としてはどうなんだと首を傾げてしまうような返事が返って来たことがあったのだった。
それはともかく、僕はこのまま不法滞在で帰国もままならない状態は絶対に嫌だったので、心の中ではもう帰国せざるを得ないだろうと覚悟はしていた。僕はジョージにお礼を言って、ジョージ邸を後にした。いずれにしても早々に決心しなければならない事態だった。
それから3週間ほど経ち、2月の中旬にジョージの管理下の道場生を一堂に集めて審査会が行われた。僕とジョージ以外にブラッドも審査員を務めた。この審査会では審査料が一人あたり50ポンド(約1万円)必要だった。当然のことながら、僕にも自分の道場生が支払ってくれたお金の一部を受け取ることが出来るのではないかと期待していた。20人くらいの生徒が僕の道場から受審することになっていた。自分の初めての弟子たちが真剣な眼差しで、一生懸命受審する姿はとても新鮮で、とても感動的だった。審査が一通り終わり、生徒もブラッドも帰り、少し落ち着いた頃に僕はジョージに尋ねた。
「ジョージ、今回の審査会費用の一部は僕にももらえるのかい?」と僕は気を遣いながら言った。
「いや、これは僕が道場全体を仕切っているからそれはないよ」とジョージは渋い顔で言った。この時も僕は、英国の小説家ディケンズの「クリスマスキャロル」に登場するスクルージ爺さんを思い出した。その守銭奴であるスクルージ爺さんとジョージを重ね合わせて、
「友人なのにひどい扱いだな」と思い、僕は意気消沈してしまった。その時、ジョージが、ブラッドも道場生もいない道場で突きをするなどして体を動かし始めたので、僕は何を思ったか、すかさず、
「もう生徒もいないし、久しぶりに2人でスパーリングしようよ」と言った。すると、「いいよ、いいねー」とジョージはご機嫌な様子で乗ってきた。
僕はさっきの鬱憤と今までのジョージへのストレスもあって、手加減はしているものの、僕の技のキレ味は普段以上になっていた。スパーリング中盤になると知らず知らずの内に自ずと技に力が入り、僕の左上段回し蹴りのつま先がジョージの右こめかみをかすった。それだけで、カミソリで切ったかのように鋭い傷がつき、サッとジョージのこめかみから血が流れた。ジョージはそれにすぐに気づきびっくりしていた。そこで彼の方からもう終わりにしようと言ってきたので、そこでスパーリングを中断した。
ジョージは右手で自分のこめかみからの血を確認し、
「次回はリベンジするからね」と悔しそうに言った。リベンジという言葉はよくジョージの口から出ていた。例えば、レストランの接客が悪い時や、業者からの営業電話が自宅に掛ってきた時など、いつもそれを口癖のように言っていた。でも僕はこの時、多少なりとも自分の鬱憤を晴らすことが出来たように感じていた。
(~続く)