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那須川天心選手がいた道場に転属

千葉に転勤

  私は埼玉の宮原道場で2年ほど所属後に、今度は千葉に転勤になりました。当時いた職場は埼玉と千葉に姉妹校があったので、教員はしばしば異動させられました。
  しかし、千葉県の道場には全くコネもなかったのでどうしようかと考えあぐねていた時に、城西支部でお世話になった先輩から千葉にある道場の師範を紹介してもらい、そこへ通うようになりました。
  その道場の師範は、極真空手のマニアであれば知らない人はいないと思われる指導者であった加藤重夫先生の直弟子でした。
  その加藤重夫先生とはK1世界チャンピオンだった「魔裟斗」の元々の指導者でした。また、「007は二度死ぬ」という昔の映画の氷割りシーンにも登場した方です。現在の極真会員松井派の館長である、松井章奎氏の育ての師範でもあり、格闘技界では有名な指導者でした。
  その加藤重夫先生のもとで、松井章奎館長と共に稽古された師範でした。稽古内容はまさに大山倍達先生が教えられてきた極真空手そのものといった感じでした。最近よくある、試合に勝つためだけの基本を疎かにしている道場とは違い、技の正確さを重視した質実剛健なものであり、なおかつ胴回し回転蹴りを少年部で教え込んでいました。
  私もこの道場に来てから胴回し回転蹴りをよく練習するようになりました。

那須川天心との出会い

  天心君は私がこの道場に転属した時はまだ小学校低学年でした。少年部だったので、私が直接指導することはなかったのですが、昇級審査会で審査の補助をする際によく見かけていました。
 飛び蹴りや型も当時からキレがあり、寸分違わずという形容がふさわしいくらいでした。現在のボクサーとしてのキレと一緒です。もちろん挨拶も元気よく、黒帯の私にも「押忍!」としっかりと大きな声でしていました。彼の得意技だった「胴回し回転蹴り」もこの頃に身に着けたようでした。
  補足ですが、現在天心選手のセコンドを務めている天心選手のお父さんも、当時は一般部の道場生で私はそのお父さんと何度かスパーリングしたことがありました。私は黒帯で彼は白帯だったのですが、今の天心選手を彷彿させるようなキレのある突きや下段蹴りなどでガンガン攻めてきたのが印象的でした。普通、後輩が黒帯に対してそういう攻め方をしてきたら伸してしまうのですが、さすがに白帯なので適当に受け流すようにしました。
 しかし、残念ながら白帯のままやめてしまったようでした。

次回は「氷柱割り演武」をお話したいと思います!
  


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