本と母と兄と私。
私はミステリー小説を読んでいる母の姿を見ながら育った。
兄もその影響でミステリー小説をよく読んでいて、中学生の兄と母はミステリー談義をしていたけど
幼い私は何にも分からず、カラカラと音が鳴るお気に入りの積み木で遊んでいた。
ブロックと違い、積み木は不安定だし作れる形はしれているが、その時思い付いた完成予想図を再現する事に注力していた。
それは、私が理解出来ない話で盛り上がっている母と兄への反発心からでもあった。
「ほら見て!」って。
この頃私が読んでいた本はノンタン。
いつの間にか覚えた平仮名。
母が驚いていた事を記憶している。
当時の私はたぶん賢かった。
歳が離れた兄は、それまで一身に注がれていた愛情が、ころんころんの丸っこい私の誕生でなし崩しになってしまい、私が生まれて喜んだのは一時だったと母から聞いている。
まぁそうだろうなぁと理解できるようになったのは、私が親になってから。
だって、兄は意地悪だったから。
兄の友人がうちに遊びに来ると
兄はいつも◯◯は来るなって言っていたが、友人達が可哀想じゃんといって沢山遊んでくれた。
兄の友達からすれば幼い私は可愛いの塊だったはず。
秘密基地に呼んでくれたり、焚き火でお湯を沸かしてラーメンを作ってくれたり、廃材を使ってトロッコみたいな物を作って遊んでくれた。
これこそが「兄」のあるべき姿なのだろうと
兄の友人を通して悟った。
一方、家ではゴジラのフィギュアを持った兄に追いかけ回される日々だった。
この落差ったらない。
ブラウン管テレビとファミコンの時代。
部活で帰りが遅い兄より早く帰宅する私は
時々兄の部屋に侵入していた。
そして、必ずバレて怒られたけどやめる気は無かった。
ある日、兄の部屋で宮崎駿の風の谷のナウシカの原作本を発見した。
私はアニメのナウシカしか知らなかったので、これは何だと兄に尋ねた。
勝手に部屋に入った事をしっかり目に叱られた後で
兄は「これは凄い物語なんだ。説明は出来ない。◯◯には難しいだろうから」
そう言われ、表紙のナウシカみたいに空を飛べたら良いのにと思うに留まった。
今思うと、こしゃまっくれて何度注意しても聞かない、聞く気も無い妹を持った兄も大変だっただろうと思う。
当時は愛読書がノンタンだった私は
今はベッドの隙間に落ちていた
魔法書的な本を読んでいる。
あまり変わっていないような気がしなくもない。