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誰かが体験した奇談。其五『以心伝心』

ライダーが語る『以心伝心』

昔はよく野宿したね。キャンプじゃなくて野宿。
ライダーは走ることが目的だから、キャンプは意外とどうでもいいやって奴はいるんだよ。

だいぶん前だけど、静岡方面の山の中を走り回っていた時があった。
あんまり人の来ないところで、テントを張ってね。朝から走るの、山の中を。
で、同じようなライダーが、たまたま出会って同じ場所でテントを張ることがある。
その日も、俺がテント張ってたら、そいつが来たんだよ。同じようなオフロードバイクで走っている奴。
隣いいですかっていうもんだから、いいよって。
仲良くといっても、離れてはいるけれどテントを張って、それぞれに夕食に取り掛かったりするだけ。誰かが近くにいるってだけでちょっと心強かったりするわけだ。これが。

ビールを飲んでいたら、ちょっと話いいですかって来るからいいですよってね。俺より若い男性で、ちょっと色白で小太りな感じの奴だった。仲間がいるとだいたいこんな感じで話が始まるね。
で、バイクの話とか、どこそこの道を走っていたらシカにあったとか、猿ににらまれたなんて話をするわけ。まぁ、たわいもない話なんだが、それが楽しいの。
山の中でテントを張ると、たまに狸とか狐とかが餌をあさりにやってくることがある。テントの中にいると、ごそごそというのが妙に怖かったりするわけ。思い切ってテントのジッパーをあけると、キョトンとした狸がこちらを見ていたり。そんな話をしてたっけな。なんとなく目に見えるようでね。

「なにか怖い話ある?」って聞いたの。
別にお化けとかそういう話を振ったわけではなかったんだけど。雨風とか、族とか、地元の怖い人のことを聞いたつもりだったんだ。
「ありますよ」
そいつがぽつりと言うわけ。
「どんなの」
「いや、いいです」
そいつ急にこの話はしたくないって感じになった。俺としては気になるよ。何度か頼んで、やっといいかなという感じになった。
「さっ、教えてよ」
そいつ、俺の顔をじっと見るわけ。
「この話はしたくないんだけどね。やっぱりこんな山の中のキャンプでしたよ、夜中に音がして目が覚めたんですね」
だから狸はもう話したよと思ったけど違った。
あたりを人が歩いている音がしたそうだ。
本当はもっと細かな話も聞いたんだけれど、ここでは言わないでおくわ。
「で、思い切ってテントの入口のジッパーを開けたんです」
その時だった。
俺の目の前に、テントの中から見た風景が見えたんだ。
そいつが見たはずの風景。
テントのジッパーを開くと、顔がある。
巨大なにたにた笑っている顔。
それが横になってる。テントの入り口には、笑っている片目と、鼻と唇でいっぱい。意思のない瞳が見えた。
はっと息をのんだ。
「見えましたか」
そいつもやっぱりゆっくりと笑ったんだ。
そいつが見たはずの風景が、はっきりと見えた。そいつは分かっていたに違いないと思う。
俺が同じ風景を今見たということを。
そういうたぐいの話。

話はそれまでで、そいつはすぐに自分のテントに戻っていった。
夜が怖いと思ったのは、それが初めてだったな。
そいつは、朝早くにテントをたたんでいなくなってた。

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