「ふつうの暮らし」を美学する-家から考える「日常美学」入門
これは軽い読み物だと思って手に取って驚かされた。
「日常美学」という聞きなれない言葉には何が表されているのか。
「日常美学」とは、1970年代の「環境美学」の分野から発展している。
人間の手によらない自然を美的鑑賞として議論してきた。
ここでいう「自然」とはどの範囲なのか。
結論から言うと、人口と自然が融合した都市や家も「日常美学」として取り扱うようになっている。
はじめに、日常美学の考え方が2通り示される。
正反対の立場だが日常の中のどこに注目するかは実はその人のライフスタイルが大きく影響しているんだな。
元々、美学はカントの影響を絶大に受けているので、機能と美は切り離されて考えられてきた。
しかし、「日常美学」ではこれらを分けて考えない。
著者は椅子の機能と美的性質を例に挙げて説明している。
カントは対象が何であるのかを問わないで、そこに美があるか否かが重要としたのだが、ウオルトンはカテゴリー論によって、対象が何でるのかがむしろ重要であって、それに依存して美的判断がされることを見出した。
ゲルニカを例に、美的性質が鑑賞者が設定するカテゴリーによって絵の評価、美の性質が変わることを示している。
それから、パーソンズとカールソンは「機能美」について3つのカテゴリーに分けた。
まったく西洋の学者は分類が大好きなのだ。
こうして分類することで美の分析を詳細にすることができる。
ちなみに、アルネ・ヤコブセンについて調べてみたので見てみる。
人生は日常の繰り返し。
繰り返される日常の多くは無意識の習慣で成り立ってる。
美的なものを求めるのはまずは生活から。
美とは特別なものではなく、
平凡なもの。
さて、著者は椅子はあればあるほど生活が豊かになると言っている。正直、椅子が好きな人は家の中に何個も椅子を置いていて、前から不思議に思っていたが、この文章を見て納得してしまった。
椅子に座るというだけなら、一つで足りる。だが、それぞれの用途にあった椅子があり、その機能美を追求することで椅子の多様性が生まれる。読書用と食事用の椅子は全く異なる機能を担うだろう。
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