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「ふつうの暮らし」を美学する-家から考える「日常美学」入門

これは軽い読み物だと思って手に取って驚かされた。

「日常美学」という聞きなれない言葉には何が表されているのか。

「日常美学」とは、1970年代の「環境美学」の分野から発展している。

人間の手によらない自然を美的鑑賞として議論してきた。

ここでいう「自然」とはどの範囲なのか。

結論から言うと、人口と自然が融合した都市や家も「日常美学」として取り扱うようになっている。

はじめに、日常美学の考え方が2通り示される。

正反対の立場だが日常の中のどこに注目するかは実はその人のライフスタイルが大きく影響しているんだな。

①日常の平凡な面に注目する立場→フィンランド  
 の美学者アルト・パアハラ
②日常の特別な面に注目する立場→アメリカの美
 学者トマス・レディ

元々、美学はカントの影響を絶大に受けているので、機能と美は切り離されて考えられてきた。

しかし、「日常美学」ではこれらを分けて考えない。

著者は椅子の機能と美的性質を例に挙げて説明している。

カントは対象が何であるのかを問わないで、そこに美があるか否かが重要としたのだが、ウオルトンはカテゴリー論によって、対象が何でるのかがむしろ重要であって、それに依存して美的判断がされることを見出した。

ゲルニカを例に、美的性質が鑑賞者が設定するカテゴリーによって絵の評価、美の性質が変わることを示している。

それから、パーソンズとカールソンは「機能美」について3つのカテゴリーに分けた。

まったく西洋の学者は分類が大好きなのだ。

こうして分類することで美の分析を詳細にすることができる。


ちなみに、アルネ・ヤコブセンについて調べてみたので見てみる。

コペンハーゲンで育ったアルネ・ヤコブセンは子供の頃、自身の寝室のビクトリア朝の壁紙を塗りつぶしたと言われています。幼かったヤコブセンですが、彼は壁を典型的な幼稚な絵で埋め尽くしたり、華やかな壁紙を子供っぽい青色で塗ったりはせず、部屋の壁全体を白く塗ることに決めたのです。
この決断は今日では普通のことのように思えるかもしれませんが、20世紀初頭の当時には白い壁はまだ流行していませんでした。彼は最初から時代を先取りしていたといえるでしょう。
20世紀において、ヤコブセンのアイデアの数々は半世紀以上もの間デンマークのデザインシーンを形作り、スカンジナビアから波及して世界中の建築家やデザイナーに影響を与えました。
彼は、デンマーク国立銀行のような複雑な建物からカトラリーセットのティースプーンといった細やかなアイテムに至るまで、様々なプロジェクトを指揮していました。また彼は、創造することへの飽くなきニーズに駆り立てられながらも、比較的小規模なスタジオのスタッフと共に仕事をしていました。
ヤコブセンの創作プロセスの中心には、細部への徹底した配慮がありました。彼は自身のアイデアを綿密な手描きの水彩画で生き生きとしたものにし、後援者や建設業者に示しました。いずれの年においても、ヤコブセンは他の人が5年以内で制作できれば幸いだと思うようなデザインプロジェクトを完成させていました。



人生は日常の繰り返し。

繰り返される日常の多くは無意識の習慣で成り立ってる。

美的なものを求めるのはまずは生活から。

美とは特別なものではなく、

平凡なもの。



さて、著者は椅子はあればあるほど生活が豊かになると言っている。正直、椅子が好きな人は家の中に何個も椅子を置いていて、前から不思議に思っていたが、この文章を見て納得してしまった。
椅子に座るというだけなら、一つで足りる。だが、それぞれの用途にあった椅子があり、その機能美を追求することで椅子の多様性が生まれる。読書用と食事用の椅子は全く異なる機能を担うだろう。

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