2 戦犯の最後 〜日独伊それぞれの〜
かつて或る高僧がガンに罹った。医者は勿論ガンとは云わなかったが、それらしい気配を感じてその高僧は「自分はこの通り仏門に生きる身だから、もしガンだと知っても何ら動じる事はない。だから本当の事を知らせて欲しい」と医者に頼んだ。そこで医者が真実を告げると途端にかの高僧は動転して見るも哀れに取り乱したと云う話を何かで読んだことがあるが、人間は死に直面すると平素窺う事の出来ない真実な一面をさらけ出すものだ。
さて第二次世界大戦における日独伊の最高指導者について、彼らの犯罪行為はさて置きその死に様を考えてみたい。まずヒトラーだがソ連軍がベルリンへ攻め込んだ時、愛人と結婚式を挙げ自殺し死体を焼いて消してしまった。何とも人を喰ったやり方だが「英雄は一瞬にして感傷を捨てる」といわれる通りさっぱりしていて、最後迄非凡な或いは異常な人間だった。これに比べてムソリーニだが、一度はヒトラーの特殊部隊により劇的な救出を受けながらコモでパルチザンに捕えられたのは何ともまずい。しかも連合軍が自分を見付けてくれるのを心待ちしていたとは間の抜けた話だ。その上パルチザンに殺されたミラノだったかの街角に愛人と共に吊るされ、群衆のさらし者にされたのだからかつての英雄が最後で不細工な事をやったものだ。しかしまずさにおいて我が東条も決して引けを取らないだろう。終戦後米軍が進駐して来ても無為に過ごし、MPが彼を逮捕する為家へ押しかけた時窓から顔を出して「ジスイズトージョー」と云って自分を確認させておき、一同が玄関へ廻った間にピストルで胸を撃って自殺を図った。
私はここで意地の悪い推理をしてみよう。東条はかつて全軍に「生きて虜囚の辱めを受けるな」と説き、又敗戦後多くの軍人が自決してゆく中で彼も又自決するのが当然の立場にあったと思う。そこで思いついたのが自殺の失敗劇ではないだろうか。私はかつて将校の時、自決の方法について何度も話を聞かされたが、ピストルで胸を撃つのは最も失敗が多いといういう事は軍人の常識であった。又頭を撃つのは頭蓋骨で弾丸がそれて失敗することがある。もし自決にピストルを使うなら銃身を口に含んで脳天をぶち抜くこと。しかし最も確実な方法は青酸カリであると教えられた。近衛もゲーリングもこれで成功している。だが東条は一番失敗し易い方法を選んで失敗した。又自殺の時期だが、若し日本の病院へ運ばれたら当時の医師なら恐らく武人の名誉の為に東条を死なせてやるだろう。そこで米軍が逮捕に来た瞬間を選んだのではないかと思えるのである。
余談だがこの後東条は米軍の病院へ運ばれ、そこで彼が身につけていた物の奪い合いが始まった。「かくして東条はメンツと共にパンツも失った」と書かれていたから、今も彼のパンツはアメリカで誰かが記念に持っている筈だ。その後東条は連合軍の軍事裁判にかけられ軍人として不名誉な絞首刑で処刑されたのである。
こうして見て来るとドイツでは自分の手で、又イタリーでは自国民の手でその戦争責任者を始末したのに、日本では他国の手によってやっと処分が行われた。又ドイツでは戦後国民の手で戦犯の追究が行われている時、日本ではかつての戦犯が保守政権の重要なポストについていたのである。
(第2号 昭和五十一年・1976年 十一月十五日発行)
(追記)
前に私は戦犯東条について書いたが、先日テレビ特集「極東軍事裁判」を見ていると、彼の自決の模様に私の記述と食い違いがあった。私は米軍の収容所にいた時、雑誌タイムで読んだ通り書いたので私の記述の方が正しいと信じている。報道陣の頭越しに東条が窓から顔を出している写真まで載っていたのだから。
(第6号 昭和五十三年・1978年 三月二日発行)