映画「ゆれる」を観て
< この取り組みについて >
動画勉強の一環として、
週一本映画を見て、
好きなシーンを3つ挙げる取り組みを始めました。
< 好きなシーン3選 >
・弟(オダギリジョーさん)が自分の母親の葬儀のため、
実家に戻った際、着替えもしないのにわざわざ部屋まで
スーツを持って行っていたシーン
「スーツなど持っていかない!これが俺の正装だ!」という感じでもなく、
「チャラついているように見えますけど、
一応それなりの常識は持ってますよ〜」みたいな
保身に走るというか、芯を持たないというか
自分という人間がどういう人間なのか、
はっきり示さなければいけない場面を
ぬるく切り抜けようとしている感じが、
「なんかわかるなぁ…」と思った。
特に「コンチワッス(小声)」の言い方が
「挨拶はできますよ、どんな時でも大事って教わってきたんで」
みたいな感じがしてよかった。
・ガソリンスタンドのアルバイト(新井浩史さん)が
7年後、自分の家族と一緒に「弟(オダギリジョーさん)」とファミレスでご飯を食べるシーン
出会った当初、「弟」はアルバイトに対し、
「あぁ…バイト? まぁ頑張ってよ」くらいの感じで話しかけていたが、
7年後は「弟」は昔のような勢いのある生活ではなくなり、
逆にアルバイトだった彼は店長?ぐらいの存在となり、
弟はこのコントラストに苦しさを感じつつも、
「でも俺大人だから行きますよ」みたいな、
気持ちを隠す感じが情けなくてよかった。
あと子供ブロッコリーをあげるという
微妙に大人気なく、面白くもないユーモアで
濁そうとしている感じもよかった。
時間が来てしまったので、今回は二つで終わるが、
全体的にこの映画においては人間の「情けない部分」や「卑しい部分」が
強調して描かれている点や、自分の負の側面を表面的なコミュニケーションによって、隠そうとしているところが「自分にもあるなぁ」と
痛い気持ちにさせてくれて良いなと思った。
< 感想 >
オダギリジョーさんと香川照之さんが兄弟という関係で、
女性の死をきっかけに、徐々に口には出せない思いを募らせ、
兄弟の絆がもつれていくというストーリーだった。
私は香川照之さんが演じた「兄」が話した、
「タケル(弟)はいつも奪う側で、自分はいつも奪われる側だった」
という言葉が印象に残っている。
ストーリーを思い返すと、
確かに「弟」は「兄」から、好きな女性や人生そのものを
奪われているように見えないこともない。
ただ自分の人生を豊かにできるのは、
この世の中で自分しかいないと私は思うため、
奪われたものもあるだろうが、自分が主体的に動かなかったという
部分が大きいのではないかと思った。
誰かのせいにするのは、
自分の中で折り合いをつけるという点では
簡単な方法のような気がする。
そのほうが受け入れやすいのだろう。
でもそれでは問題は何も解決しない。
私も自分の納得感を優先してしまう時がある。
でもそれは自分の中で綺麗に折り合いをつけたいがためであり、
本当に問題解決に必要なことか、常に考える必要があるなと思った。
納得できないことがほとんどなこの世の中で、
自分の身の回りに起こる些細な問題であれば、
気持ちよく解決できると心のどこかで思っている部分を疑い、
誰にとっても気持ちよくない答えも状況によっては受け入れ、
これを次に活かすという前向きな姿勢で
居続けることが大切なのかもしれない。
ダラダラと書き続けたが、この映画を観て
「自分を被害者だと思い、楽な方へ逃げるな」と
自分に言い聞かせたいのだと思った。