これまでの経緯(産後編)
子供が産まれ、自分の生活もままならないときに 何度も下手に出て育児や家事のお願いするも不機嫌になるのでそれ以上強くお願いすることは出来ませんでした。そこで正面切って話せる相手であればよかったのですが私もそれを拒否していました。
離婚の原因はわたしのコミュニケーション能力不足だと言われたら、そうだと思います。
その間 体調が悪いときには友達に教えてもらった産後支援サービスや配食サービス、ネットスーパーなどを利用してどうにか生活していました。
しかし金銭的に負担が大きく、稼いでいないことで罪悪感もあり早めに復帰しようとも思いました。
上手に夫を立てつつ、敬いつつ利用しなさい。
と義母と実母に言われましたが私にはできませんでした。
何か依頼してもそこから言い争いや最終的に暴力行為に帰結してしまうのはなぜだろう。
今、思い返すと 義両親についていろいろと引っ掛かることがありました。
一度 義両親の喧嘩をみました。2人とももみくちゃになるほどの喧嘩でしたが翌日には普通に振る舞っていました。表向き愛情深く仲の良い家族に見えていましたが義両親ともに時折、攻撃的な面もありました。
夫の幼少の頃のことはわかりませんが、ある芸人さんが
「両親が口論しているのを見てきた家庭で育つと、自分がそうなったときにも暴言を吐くという選択肢として持ってしまう。」とおっしゃっていて納得しました。
咄嗟のことでも理性や思いやりを持ち続けることがとても難しいことだと。
DV加害者は被害者でもあるのだろうなと思います。
だからといって自分が治せるものではないし、冷酷かもしれませんが自分に危害がある以上、寄り添ってあげたいとも今は思いません。